イタリアにおける最初の美術家養成の組織は、1563年に、画家、美術史家のジョルジョ・ヴァザーリが願いでて、コジモ1世によってフィレンツェに作られたアカデミア・デル・ディセーニョ(Accademia del Disegno)であるが、個々の画家の記録を残しただけで間もなく衰退した。アカデミア・ディ・サン・ルカは、学問を奨励した教皇グレゴリウス13世の時代の1577年に美術家の会としてフェデリコ・ツッカリがフェデリコ・ボッロメオらと設立し、1593年からツッカリが会長となって、教育機関として改革を進め、ツッカリは"Idea de'pittori scultori ed architetti"を発表した。
教育と公開の展覧会を通じて、ヨーロッパ各国の美術院のモデルとなった。
会員の間で、芸術上の論争が行われることもあり、17世紀の後半にアンドレア・サッキ(Andrea Sacchi:1599–1661)とピエトロ・ダ・コルトーナ(Pietro da Cortona:1596-1669)の間で議論された「古典主義」と「バロック」の論争が知られている。
イタリア統一後、1872年に王立美術院("Accademia Reale")と改名された。1948年に("Accademia nazionale di San Luca”)と改名された。