SN 1反応 (エスエヌワンはんのう)とは、有機化学 における置換反応 の一種である。"SN " は求核置換反応 (nucleophilic substitution)であることを示し、"1" は律速段階 が単分子反応 であることを示している[ 1] [ 2] 。したがって、反応速度式 は求電子剤 の濃度の1乗、求核剤 の濃度の0乗に比例した式になる。これは求核剤がカルボカチオン中間体 に比べて過剰にある場合でも成り立つが、この場合反応速度式は定常状態速度論 (英語版 ) を用いてより正確に記述することができる。反応にはカルボカチオン 中間体が関わっており、二級や三級のハロゲン化アルキル が強塩基 下または強酸 下で第二級ないし第三級のアルコール と反応する際に観察される。一級のハロゲン化アルキルについては代わりにSN 2反応 が起きる。無機化学 では、SN 1反応は「解離性置換反応 (英語版 ) 」としばしば呼ばれる。解離の経路についてはシス効果 (英語版 ) によって記述される。SN 1反応の反応機構 はクリストファー・ケルク・インゴールド らによって1940年に提唱された[ 3] 。 この反応はSN 2反応ほど求核剤の強さに依存しない。
反応機構
SN 1反応の一つに臭化tert -ブチル の加水分解 によってtert -ブチルアルコール をつくる反応がある。
このSN 1反応は次の3つの段階からなる。
脱離基 (臭化物 イオン)が炭素 原子から離れ、tert -ブチル基 のカルボカチオン ができる。この反応は最も反応速度 が遅く、可逆反応 である[ 4] 。ただし、イオン化より溶媒との反応の方が遅い場合も報告されている[ 5] 。
カルボカチオンと求核剤の結合
求核攻撃 : 求核剤がカルボカチオンと反応する。求核剤 が中性分子(つまり溶媒 )なら、反応完了のため第三段階が必要となる。溶媒が水なら、中間体はオキソニウムイオン となる。この反応は速く進む。
脱プロトン化 : 水が塩基 として働いてプロトン化 された求核剤からプロトンが脱離し、アルコール とヒドロニウム イオンが生成する。
反応が起こる対象
SN 1反応は中心の炭素にかさ高い置換基 が結合していて立体障害 のためSN 2反応が起こりにくい時に起きやすい。さらに、かさ高い置換基によって立体ひずみ (英語版 ) が小さくなり、カルボカチオンの生成速度が大きくなる。生成したカルボカチオンは誘起効果 (英語版 ) とアルキル基 の超共役 によって安定化される。ハモンドの仮説 ではこれによってカルボカチオンの生成がさらに加速するとされている。ゆえに、SN 1反応は三級の炭素 が反応する場合に優先的に起こり、二級の炭素が弱い求核剤 と反応する場合も起きる。
SN 1反応が優先して起こる反応の例として、濃塩酸 を使ってジオール のヒドロキシ基 を塩素 原子に変えて2,5-ジクロロ-2,5-ジメチルヘキサンを合成する反応がある[ 6] 。
α位とβ位で置換が起こり、SN 2反応ではなくSN 1反応が起こる。
立体化学
反応の律速段階で生成するカルボカチオン中間体はsp2 混成軌道 を形成し、三角形の平面形分子構造 をとる。これにより分子を平面上の上下どちらから攻撃するかにより二通りの求核攻撃が可能になる。もし平面の上下で反応性に違いがない場合、2つの反応は等確率で起こり、反応が起こったのが不斉炭素 ならラセミ体 が生成する[ 7] 。これは下のS-3-クロロ-3-メチルヘキサンがヨウ化物 イオンとSN 1反応を起こして3-ヨード-3-メチルヘキサンになることで示される。
SN 1反応でラセミ体が生成する例
しかし、脱離基がカルボカチオンの近くにとどまり、求核攻撃を妨げる場合は一方のエナンチオマー が優先して生成する。
この反応機構は、求核剤が必ず脱離基の反対側から結合するという立体選択的 なSN 2反応のメカニズムとは対照的である。
副反応
脱離反応 とカルボカチオンの転位 という2つの副反応 (英語版 ) が起こることが多い。反応が高温で進む場合(エントロピー が増加しやすい場合) E1反応 が優先し、アルケン が生成する。低温では、SN 1反応とE1反応は競合し、片方だけを起こすのは難しい。低温であっても、多少のアルケンが生成する。水酸化物 イオンやメトキシド イオンなどの強塩基求核剤を用いてSN 1反応を起こすと、E2反応 が起こり、アルケンが生成する。E2反応は溶液が加熱された場合に起こりやすい。また、カルボカチオンがより安定な位置に転移した場合、その転移した位置で反応した生成物が得られる。
溶媒効果
SN 1反応では律速段階で不安定なカルボカチオンを生成するため、この生成を促進する物質は反応全体を加速させることになる。普通は、溶媒 には極性 があり (イオン性の中間体を安定に存在させるため)、プロトン性 のもの(脱離基を溶媒和 させるため)を用いる。典型的なプロトン性極性溶媒には水やアルコールがあり、これらは求核剤として加溶媒分解も起こす。
Yスケール はある溶媒における加溶媒分解 の反応速度定数 (k )と標準溶媒(体積比でエタノール 80%/水 20%の混合物)における反応速度定数 (k0 )の比をとって対数にしたものであり、以下の式で表される。
log
-->
(
k
k
0
)
=
m
Y
{\displaystyle \log {\left({\frac {k}{k_{0}}}\right)}=mY\,}
ここでm は反応物定数(tert -塩化ブチル ならm = 1)であり、Y は溶媒パラメータである[ 8] 。例えば100%エタノールなら、Y = -2.3、50%エタノール-水溶液ならY = +1.65、15%エタノールならY = +3.2となる[ 9] 。グルンワルト・ウィンスタイン方程式 (英語版 ) も参照のこと。
脚注
^ L. G. Wade, Jr., Organic Chemistry , 第6版., ピアソン /プレンティス・ホール (英語版 ) , アメリカニュージャージー州 、アッパー・サドル・リバー (英語版 ) ,2005年
^ March, J. (1992). Advanced Organic Chemistry (4th ed.). ニューヨーク: Wiley. ISBN 0-471-60180-2
^ “188. Mechanism of substitution at a saturated carbon atom. Part XXIII. A kinetic demonstration of the unimolecular solvolysis of alkyl halides. (Section E) a general discussion”. Journal of the Chemical Society (改訂版) : 979. (1940). doi :10.1039/JR9400000979 .
^ Peters, K. S. (2007). “Nature of Dynamic Processes Associated with the SN1 Reaction Mechanism”. Chemical Reviews 107 (3): 859–873. doi :10.1021/cr068021k . PMID 17319730 .
^ 峯岸信也、Robert Loos、小林進 二郎、Herbert Mayr, 「SN1反応の完全なエネルギープロファイル 」『基礎有機化学討論会要旨集(基礎有機化学連合討論会予稿集)』 17(0), 36-36, 2004 、基礎有機化学会(第17回基礎有機化学連合討論会)
^ Wagner, Carl E.; Marshall, Pamela A. (2010). “Synthesis of 2,5-Dichloro-2,5-dimethylhexane by an SN1 Reaction”. J. Chem. Educ. 87 (1): 81–83. doi :10.1021/ed8000057 .
^ Sorrell, Thomas N. "Organic Chemistry, 2nd Edition" University Science Books, 2006
^ エルンスト・グルンワルト (英語版 ) & ソウル・ウィンスタイン (英語版 ) (1948). “The Correlation of Solvolysis Rates”. 米国化学会誌 70 (2): 846. doi :10.1021/ja01182a117 .
^ Arnold H. Fainberg & S. Winstein (1956). “Correlation of Solvolysis Rates. III.1 t-Butyl Chloride in a Wide Range of Solvent Mixtures”. 米国化学会誌 78 (12): 2770. doi :10.1021/ja01593a033 .
参考文献
Electrophilic Bimolecular Substitution as an Alternative to Nucleophilic Monomolecular Substitution in Inorganic and Organic Chemistry / N.S.Imyanitov. J. Gen. Chem. USSR (Engl. Transl.) 1990 ; 60 (3); 417-419.
Unimolecular Nucleophilic Substitution does not Exist! / N.S.Imyanitov. SciTecLibrary
関連項目
外部リンク