Live Free or Die(自由に生きる、さもなくば死を)はアメリカ合衆国ニューハンプシャー州の公式標語であり、1945年に採用されている[1]。
おそらく全ての州の標語のうち最も有名なものである。その理由は、この標語がアメリカの政治思想に古くから見られる断定的な独立思想を伝えるものであること、そしてまた、他の州の標語の穏やかな表現と対照的であること、にある。
スタークがこれを書いた時には、"Vivre Libre ou Mourir"(自由に生きる、さもなくば死を)はすでにフランス革命の有名な標語であった[3]。英国の詩人ウィリアム・ワーズワースもまた、このフランス革命の標語を彼の詩の一行に採用している:“We must be free or die, who speak the tongue that Shakespeare spoke."(シェイクスピアの話した言葉を口にする我々は、自由であるか、さもなくば死ぬべきだ)[4]
1791-92年に、モネロン兄弟のパリ工場との間での交換通貨として、マシュー・ボールトンのソーホー・ミントで制作された硬貨の表面に、"Vivre libres ou mourir" (自由に生きる、さもなくば死を)が刻印されている。
バルセロナ包囲戦(1713年7月25日-1714年9月11日)の間、バルセロナの防御軍とマウレッツが標語「自由に生きる、さもなくば死を」をカタルーニャ語"Viurem lliures o morirem"で記した黒い旗を使った。現在では、カタルーニャ独立運動の象徴として使われている。
1582年に、アゾレスのポルトガル人政治家チプリアン・デ・フィグェリドからスペイン国王フェリペ2世に宛てた返信に、"Antes morrer livres que em Paz sujeitos"(平和に征服されるよりもむしろ自由に死ぬ)という言い回しが使われた。これはアゾレス諸島の標語として採用され、自治領の紋章に入っている。
1320年に、ローマ教皇ヨハネス22世に対しスコットランドのイングランドからの独立を伝えるために送った書簡、アーブロース宣言に、以下の文章がある。"It is in truth not for glory, nor riches, nor honours that we are fighting, but for freedom – for that alone, which no honest man gives up but with life itself."(実のところ、我々が戦っているのは、栄光、富、名誉のためではなく、ただ自由のためなのだ。正直者はその命をかけて自由を諦めはしない。)
1804年1月1日に、ジャン=ジャック・デサリーヌは、フランスの植民地からの独立、ハイチの国家としての独立を宣言した。デサリーヌは、"Vivre libre ou mourir!"(自由に生きる、さもなくば死を!)と叫びながら、フランスの三色旗の白い部分を引き裂いた、と言われている[10][11]。
1792年12月11-13日に開催された、エディンバラの人民の友協会の最初の代表者会議において、"live free or die"の言い回しがフランス人の宣誓として引用された[12]。
"Свобода или смърт" - "Svoboda ili smart"(自由か死か)という言い回しが、ブルガリアの革命派の間で国家自由化紛争の間に革命のスローガンとして使われた。