1968年グルノーブルオリンピックのアルペンスキー競技(1968ねんグルノーブルオリンピックのアルペンスキーきょうぎ)は、1968年2月9日から2月17日までの競技日程で実施された。
概要
男女それぞれ3種目で争われた。男子種目では、フランスのジャン=クロード・キリーが全種目で完全優勝を果たした。なお、今大会もアルペンスキー世界選手権を兼ねている。
男子回転ではカール・シュランツが2回合計でトップタイムを出したが、旗門不通過の疑いにより、裁定委員会で審議された結果、失格となった。二本目の競技でシュランツは観衆にじゃまされたため、旗門を通過しなかったと主張したが、裁定委員会はこれを認めなかった[1]。
大会終了後、翌1969年4月、商業主義がオリンピックに持ち込まれることに強く反対の立場であるIOCのアベリー・ブランデージ会長からジャン=クロード・キリー、ナンシー・グリーンの金メダル返還要求が国際スキー連盟に伝えられた。AFPによれば、ブランデージ会長は、「山をスキーですべり降りることが、世界で最も重要なスポーツだとは思われない」と述べたことが報道された[2]。それに対して国際スキー連盟のマルク・ホドラー会長は、IOCとの決別も辞さないと語った[3]。
競技結果
男子
女子
各国メダル数
順
|
国・地域
|
金
|
銀
|
銅
|
計
|
1 |
フランス (FRA) |
4 |
3 |
1 |
8
|
2 |
オーストリア (AUT) |
1 |
1 |
3 |
5
|
3 |
カナダ (CAN) |
1 |
1 |
0 |
2
|
4 |
スイス (SUI) |
0 |
1 |
2 |
3
|
脚注
- ^ キリー(仏)幸運の三冠王 回転 シュランツ(オーストリア)ら失格 読売新聞 1968年2月18日 9ページ
- ^ "札幌には影響ない" 五輪メダル騒動で組織委 読売新聞 1969年4月25日 朝刊8ページ
- ^ IOCと決別の可能性も 国際スキー連盟表明 朝日新聞 1969年4月26日朝刊13ページ
外部リンク