齋藤 尚一(さいとう しょういち、1908年6月1日 - 1981年10月30日)は、日本の技術者、実業家。位階は正四位。勲等は勲二等。
トヨタ自動車工業株式会社会長(第3代)、社団法人自動車技術会会長(第9代)などを歴任した。
来歴
生い立ち
愛知県出身。1927年、旧制前橋中学校卒業[1]。1931年、第八高等学校理科甲類卒業[2]。1935年、東北帝国大学工学部機械工学科卒業、豊田自動織機自動車部入社[3][4]。
実業家として
創業期には数少なかった大学出身の技術者として、トヨタ自動車創業者豊田喜一郎の日本車生産構想を補佐し[5][6]、日中戦争中、菅隆俊のもと、岩岡次郎、豊田英二と挙母工場(のちのトヨタ自動車本社工場)建設構想にあたった[7]。第3代トヨタ自動車工業会長[8]、第9代自動車技術会会長[9]などを歴任。1970年、藍綬褒章受章。1978年、勲二等旭日重光章受章。1981年、正四位[8]。
略歴
栄典
著作
- 『自動車の国アメリカ』誠文堂新光社 1952年
- 『地球はまるい―空の旅百日』トヨタ自動車工業 1956年
脚注
出典