鴫谷 亮一(しぎや りょういち、1914年 - 1989年6月21日[1])は、日本の医学者、医師。専門は循環器内科。
経歴
旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校理科乙類[2]、東京帝国大学医学部卒業。1974年まで群馬大学医学部第二内科(循環器内科)教授。東海大学医学部教授、国立横浜病院院長を歴任。
新谷家は戦国期に今川氏勢力下の駿河国に来住、5代目述賢の頃に新谷を鴫谷姓に改め郷士となり、医術を甲斐国の徳本に学び、代々業とした。江戸幕末期の鴫谷一元(14代)は、兵太夫新田(現藤枝市内)の村松良元に医科修業、田中藩の御典医でもあったと伝えられる。この一元は1876年(明治9年)に隠居別家し、自らは代々定住の子持坂村(現藤枝市内)から近隣の横内村へ転居、医業を継続した。この後、14代一元、15代一元(養子:井出禮二郎、または井出禮二)、元熈、亮一と継嗣され、静岡、東京へと転居した[3]。
著書
- 『内科疾患と看護:精神科疾患と看護』 鴫谷亮一[等]著 メヂカルフレンド社 1989
- 『内科疾患と看護:精神科疾患と看護』 鴫谷亮一ほか著 メヂカルフレンド社 1987.11
- 『最新看護学入門』 メヂカルフレンド社 1982.11
- 『高血圧症治療』 鴫谷亮一 [ほか]編集 東京大学出版会 1979.4
- 『鴫谷亮一教授の高血圧と低血圧』 鴫谷亮一 著 主婦の友社 1979.6
- 『日本人の栄養と循環器疾患』 鴫谷亮一 [ほか]編著 保健同人社 1977.3
- 『内科疾患と看護:精神科疾患と看護』 鴫谷亮一, 伊佐マル [著] ; 江副勉, 石井毅, 木村久子 [著] メヂカルフレンド社 1975.11
- 『内科疾患と看護:精神科疾患と看護』 鴫谷亮一[ほか]著 メヂカルフレンド社 1974.11
- 『循環系の力学と計測』 鴫谷亮一, 望月政司, 金井寛 編 コロナ社 1971
脚注
関連項目
外部リンク