鳴尾飛行場(なるおひこうじょう)は、かつて兵庫県武庫郡鳴尾村(のちの西宮市枝川町)に存在していた大日本帝国海軍の飛行場である。また川西航空機(現・新明和工業)が製造する軍用機の試験飛行用も兼ねていた。
帝国海軍の航空基地であり、鳴尾川を挟み、川西航空機鳴尾製作所に隣接していた軍用飛行場である。
場内には、X字型の交差滑走路を有していた。
それまで水上機専門であった同製作所が陸上機「紫電」を製作することになった。旧・阪神競馬場(鳴尾競馬場)は、かつて大正3年(1914年)に帝国飛行協会主催の第1回飛行機競技会が開催されたことがあり[1]、候補とされた。陸上機の試験飛行や、周辺地域への防空手段の必要性に鑑みて拡張が図られ、周囲の浜甲子園阪神パーク、甲子園南運動場を接収して飛行場とした。なお鳴尾競馬場の大スタンドの正面玄関部分(貴賓館)は残されて管制塔として使用された。
完成した飛行場には海軍航空隊の三三二空が所在し、阪神地区防空の拠点基地として使用された。
太平洋戦争終戦後、飛行場は米軍の接収を経て各自治体や民間団体へ払い下げられ、跡地は浜甲子園団地や武庫川女子大学の浜甲子園キャンパスなどになっている。また飛行場の管制塔として使用されていた鳴尾競馬場の建築物は、武庫川女子大学附属中学校・高等学校内に「芸術館」として現存している[2]。
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