鬼ヶ﨑 綱之助(おにがさき つなのすけ、生年不詳 - 1878年7月22日)は、能登国羽咋郡(現在の石川県羽咋郡)出身で湊川部屋所属の元大相撲力士。本名は、中村(下の名は不明)。最高位は西前頭2枚目。
綾瀬川山左エ門(元大関)と並んで、明治時代最初の新入幕力士として有名である[1]。
略歴
- 1861年(万延2年)2月場所 - 湊川部屋(師匠:元幕下・藤ノ戸亀吉)から初土俵を踏む
- 1866年(慶応2年)11月場所 - 安房勝山藩お抱え
- 1867年(慶応3年)4月場所 - 新十両
- 1868年(明治元年)11月場所 - 新入幕
- 1876年(明治9年)1月場所 - 引退、年寄・立浪を襲名
- 立浪襲名は年寄を証明する資料がなく疑問とされてきたが、1877年11月の石川県での巡業番付で「鬼ヶ崎改め立浪勇平」とあり、明らかとなった。
- 短命に終わったためかよく中央に伝わらなかったとみられる。またなぜ立浪という年寄名跡を創設できたかも、資料不足で不明である[2]。
- 1878年(明治11年)7月22日 死去
主な成績
- 幕内戦績:35勝58敗16分1預40休(15場所)
四股名変遷
- 高ノ戸 亀吉(たかのと かめきち)1861年2月場所 - 1862年3月場所
- 藤ノ戸 花吉(ふじのと はなきち)1862年11月場所 - 1863年7月場所
- 藤ノ戸 亀吉(- かめきち)1863年11月場所
- 藤ノ戸 花吉(- はなきち)1864年4月場所 - 1866年11月場所初日
- 鬼ヶ崎 花吉(おにがさき -)1866年11月場所2日目
- 鬼ヶ崎 勝五郎(- かつごろう)1867年4月場所 - 1868年6月場所
- 鬼ヶ崎 綱之助(- つなのすけ)1868年11月場所 - 1869年4月場所
- 鬼ヶ﨑 綱之助(おにがさき -)1869年11月場所
- 鬼ヶ崎 綱之助(おにがさき -)1870年4月場所- 1872年4月場所
- 鬼ヶ﨑 綱之助(おにがさき -)1872年11月場所
- 鬼ヶ崎 綱之助(おにがさき -)1873年4月場所- 1873年12月場所
- 鬼ヶ﨑 綱之助(おにがさき -)1874年4月場所- 1876年1月場所(引退)
脚注
- ^ ちなみに、江戸時代最後の新入幕力士は盤石力勝である。
- ^ 「大相撲名力士風雲録 第25巻」 相撲部屋物語 立浪部屋 ベースボールマガジン社 2018年
関連項目