高村 亜留(たかむら ある、1961年9月25日[1] - 2014年8月14日)は、日本の女性歌手。1985年にビクター音楽産業のレーベルInvitationよりデビュー。1986年まで活動した。
高村光雲の曾孫。光雲の息子・高村光太郎、高村豊周は祖父の兄弟[1]。写真家の高村規は伯父。
来歴
「亜留」という名前は、「これから国際交流が盛んになる」ということから、どこの国の人にとっても呼びやすいようにとして名付けられた[1]。
1977年、女子美術大学付属高等学校在学中[1]の16歳の時に「お母さん、私、歌手になるわ!」と宣言して、ロックバンドに加入。最初はキッスやエアロスミスのコピーを行い、次にルーファス・ウェインライトやシェリル・リンなどのソウルでシャウトしながら独特の声を鍛えた。ある時、コピーはあくまで模倣であることを悟り、日本語詞を自分なりに唄うことに目覚める。
1985年、アルバム『ARU FIRST』、シングル「ハートブレイク・サマービーチ」の同時発売でメジャー・デビュー。
2014年8月14日、子宮頸癌のため死去[2]。
ディスコグラフィ
シングル
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発売日
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タイトル
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B面
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規格
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規格品番
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Invitation
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1st
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1985年5月21日
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ハートブレイク・サマービーチ
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ブレーキ踏んで怒って
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7inch
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VIHXー1666
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2nd
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1985年11月5日
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心を染めて
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ラスト・チャンス
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7inch
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VIHX-1676
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アルバム
オリジナル・アルバム
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発売日
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タイトル
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規格
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規格品番
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Invitation
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1st
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1985年5月21日
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ARU FIRST
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LP
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VIH-28220
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CT
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VCF-10241
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CD
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VDR-1058
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2nd
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1986年1月21日
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Ta Ta Ya My Love〜ARU 2nd.〜
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LP
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VIH-28243
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CT
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VCF-10265
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CD
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VDR-1141
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参加作品
発売日 |
商品名 |
歌 |
楽曲 |
備考
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1986年5月21日
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Stimulus
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鳴瀬喜博
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「In The Small Hours」
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ボーカルとして参加。
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タイアップ
コンサート
- 鳴瀬喜博LIVE - 刺激・過激・感激ライブ!!(1986年5月23日東京・渋谷LIVE INN)- Char、大谷令文、人見元基とともにジョイントコンサート。
- ベース:鳴瀬喜博、ギター:斉藤英夫、ドラム:北村ケンタ、キーボード:緒方泰男。2部構成。
書籍
脚注
出典