高木 第四郎(たかぎ だいしろう、旧姓・宮崎[1]、1862年9月13日(文久2年8月20日[2]) - 1952年(昭和27年)12月12日[3])は、日本の政治家(県会議員[1][4]、郡会議員[4]、市会議員[1][4]、衆議院議員[1][4])、実業家。弘乳舎、牛乳搾取業[1][5]。九州新聞(現・熊本日日新聞)社長[5]。族籍は熊本県平民[1]。
生涯
1862年(文久2年)、熊本市高田原歩町で誕生。熊本士族・宮崎眞雄の三男[1][5]。兄が二人、姉が一人おり、四番目の子供。高木茂吉の養子となった[1]。日新堂、春日学校、広取塾(広取英学校)で学ぶ。1880年(明治13年)、18歳で下総三里塚種畜場(御料牧場)に牧夫として住み込み、翌14年には農商務省の農学校獣医分科に推薦入学。2年後に獣医生となった。
1883年(明治16年)、熊本市鷹匠町に、「弘乳舎」という牧場と牛乳を扱う会社を創業。土地は160坪、和牛は4頭と洋牛1頭。弘乳舎という屋号は「牛乳を弘く社会に普及する天下国家への奉仕」を意味する。
1889年(明治22年)、27歳で市会議員に当選。1893年(明治26年)、本荘町に牧場を建設して移転。1915年(大正4年)、九州新聞(現・熊本日日新聞)社長に就任。1941年(昭和16年)、弘乳舎が戦時統制で熊本県内の乳業メーカー13社(熊本牛乳、肥後牛乳、銀杏牛乳、光乳舎、岡田省牧場、等)と合併し、熊本合同牛乳(現・熊本森永乳業)となる。1952年(昭和27年)、90歳で死去。
人物
住所は熊本市本荘町[1][5]。
家族・親族
- 高木家
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
外部リンク