高木 正弘(たかぎ まさひろ)は、江戸時代前期の大名。河内国丹南藩の第3代藩主。官位は従五位下・主水正。
略歴
第2代藩主・高木正成の長男として誕生した。母は山口重政の養女(竹田某の娘)。幼名は善次郎。
寛永8年(1631年)、上総国内で1000石を与えられた。寛永12年(1635年)、父の死去により跡を継ぐ。このとき、家督相続前に与えられていた1000石は没収され、父が生前に与えられていた3000石の加増分も正好、正房の2人の弟に分与した。
大番頭、次いで二条城の守衛となったが、在任中の明暦4年(1658年)6月23日に死去した。享年46。墓所は京都市左京区黒谷町の金戒光明寺光守院。
跡を長男の正盛が継いだ。
系譜
高木家 丹南藩3代藩主 (1635年 - 1658年) |
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