高向 麻呂(たかむこ の まろ)は、飛鳥時代の公卿。名は摩呂とも書く。姓は臣のち朝臣。刑部尚書・高向国押の子。官位は従三位・摂津大夫。
経歴
天武天皇10年(681年)小錦下に叙せられる。天武天皇13年(684年)遣新羅大使となり、新羅に遣わされる。同年10月の八色の姓の制定により、臣から朝臣に改姓する。翌天武天皇14年(685年)学問僧の観常・雲観らを伴って帰国し、新羅王の献上物をもたらした[2]。
大宝元年(701年)の大宝令の施行を通じて従四位上に叙せられ、翌大宝2年(702年)には参議に任ぜられ朝政への参加を命じられた。慶雲2年(705年)正四位下・中納言、和銅元年(708年)従三位・摂津大夫に叙任されたが、同年閏8月5日に薨去。最終官位は摂津大夫従三位。
官歴
『六国史』による。
系譜
脚注
- ^ 『公卿補任』による。『続日本紀』では和銅元年閏8月8日条に薨伝の記載がある。
- ^ 『日本書紀』天武天皇14年5月26日条
- ^ 『続日本紀』和銅元年閏8月8日条
- ^ a b c 鈴木真年『百家系図稿』巻53,高向
参考文献
- 宇治谷孟『日本書紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1988年
- 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年