飛鳥井 雅綱(あすかい まさつな)は、戦国時代の公卿。飛鳥井雅俊の子。官位は従一位・権大納言。飛鳥井家10代当主。
経歴
明応4年(1495年)、7歳で叙爵し、大永4年(1524年)2月に従三位となった[1]。天文7年(1538年)に権大納言に任じられ、武家伝奏も務めた[2]。
和歌・蹴鞠の宗家[2]で、大永5年(1525年)に伊勢伊豆千代丸(後の北条氏康)[注釈 1]に蹴鞠作法を伝授し[1]、天文2年(1533年)7月、織田信秀に請われて尾張国へ蹴鞠の伝授に出かけ、勝幡城、清州城で蹴鞠会を開催し、多くを門弟にした(『言継卿記』)[4][5]。天文18年(1549年)に再び北条氏康を訪問して息子の西堂丸(後の氏親)・松千代丸(後の氏政)に蹴鞠作法を伝授している[1]。
永禄5年(1562年)に従一位に叙せられ[2]、翌永禄6年(1563年)8月21日に出家した[1]。
系譜
脚注
注釈
- ^ 小田原伊勢氏が北条氏と改姓したのは大永3年(1523年)と推定されているが、この時期には当主の北条氏綱のみが「北条」を称しており、伊豆千代丸は元服したのを機に「北条」と称したとみられている[3]。
出典
- ^ a b c d 『戦国人名辞典』「飛鳥井雅綱」
- ^ a b c 『戦国人名辞典』「飛鳥井雅綱」
- ^ 黒田基樹「〈今代天下無双の覇主〉五十七年の生涯」『北条氏康とその時代』〈シリーズ・戦国大名の新研究 2〉(戎光祥出版、2021年) ISBN 978-4-86403-391-6 P9.
- ^ 小和田哲男「2 織田信秀」『織田家の人びと』河出書房新社、1991年、21-30頁。
- ^ 谷口克広『天下人の父・織田信秀 信長は何を学び、受け継いだのか』〈祥伝社新書〉2017年、43-50頁。
参考文献