青盛 喜一郎(あおもり きいちろう、1860年2月29日(万延元年2月8日)[1] - 没年不明)は、日本の商人(石油和洋紙卸商)[2][3][4]、広島県多額納税者[3][4][5][6]、地主[6]・家主[7][8][注 1]、政治家。呉市会議員[8][9]。族籍は広島県平民[2][8][10][11]。
経歴
広島県人・青盛万次の二男[6]。1884年、家督を相続する[3][10]。石油和洋紙卸商を営み、広島県多額納税者に列する[3]。呉銀行、呉倉庫各専務取締役をつとめる[11]。1939年、退隠する[6]。
人物
青盛喜一郎について、『帝国信用録 第10版 大正6年』には「職業・紙、油、銀行役員、店舗又は住所・呉本通、開業年月・明治21」とある[12]。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[1][13]。呉市に於ける名望家である[10]。
住所は呉市本通[2]、同市岩方通4丁目[3][4][13](現・中央)、同市和庄町[11]。
家族・親族
- 青盛家
青盛家は古くより呉市にて商業を営む[10]。
- 親戚
脚注
注釈
- ^ 『呉新聞』1925年7月29日号の「2000坪以上の宅地所有者」によると、青盛喜一郎は「坪数11908、地価50131円」で、同新聞1925年8月8日号の「毎月二百圓以上の家賃が這入る家主」によると、青盛喜一郎は「戸数124、家賃2712円」である[7]。
出典
参考文献
- 『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 帝国興信所編『帝国信用録 第10版 大正6年』帝国興信所、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 『大日本長者名鑑』貞文舍、1927年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第19版 下』人事興信所、1957年。