青山幸孝

 
青山幸孝
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 安永7年10月24日1778年12月12日
死没 文化12年11月25日1815年12月25日
戒名 英雲院殿如實浮山大居士
墓所 東京都港区南青山梅窓院浄土宗
官位 従五位下大蔵少輔
幕府 江戸幕府寺社奉行
主君 徳川家斉
美濃郡上藩
氏族 青山氏
父母 父:青山幸完、母:水野忠友の娘
兄弟 幸孝、蔵、勝
阿部正倫の娘・
幸寛幸礼成展、於久二、貞、阿充、松平信友正室、睦ら
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青山 幸孝(あおやま ゆきたか / よしたか)は、江戸時代中期から後期にかけての大名美濃国郡上藩の第3代藩主。官位従五位下大蔵少輔。幸成系青山家7代。

略歴

安永7年(1778年)、第2代藩主・青山幸完の長男として誕生した。

文化5年(1808年)、父の死去により家督を継ぐ。文化12年(1815年)に寺社奉行となったが、同年11月25日に死去した。享年38。

跡を長男の幸寛が継いだ。

系譜

父母

正室

子女