長田 恒雄(おさだ つねお、1902年(明治35年)12月17日 - 1977年(昭和52年)3月30日[1])は、日本の詩人、作詞家。9歳で得度したが、詩人として仏教と向き合う道を選び多くの仏教詩を遺した[2]。静岡県出身。
経歴
1902年(明治35年)、静岡県清水市、真宗大谷派の寺院に生まれる[2]。静岡県立静岡中学校に学ぶ[3]。東洋大学中退。1925年(大正14年)、「詩洋」の同人となる。1926年(大正15年)、三省堂勤務。1929年(昭和4年)、第1詩集「青魚集」を刊行。のちに北園克衛らを知り、モダニズムに近づく。1936年(昭和11年)、雑誌「科学ペン」(三省堂)の編集・発行を担当。戦後「現代詩研究」を創刊、主宰した。
1939年(昭和14年)に発表された「何日君再来」(歌:渡辺はま子)[4]を訳詩。仏教讃歌の他、校歌、応援歌の作詞も手がけた。
著書・詩集
- 『「ばらの歌」のルーツを求めて : 調査報告』 杉沢盛二 草川信 長田恒雄 著 杉沢盛二 2008.8
- 『仏を讃う : 長田恒雄詩集』林行雄 編 中山書房仏書林 1989.3
- 『猫とねずみが仲の悪いわけ : 女声合唱』 清水脩 作曲 音楽之友社 1982.6
- 『樹下燦々 : 混声合唱』 清水脩 作曲 音楽之友社 1980.11
- 『博物誌 : 詩集』現代詩研究所 1979.3
- 『仏のことば : 詩集』 三笠会館 1978.3
- 『智恵子抄巻末のうた六首 : 男声合唱』 清水脩 作曲 音楽之友社 1978.1
- 『蓮如上人『御一代聞書』とその生き方』 徳間書店 1972
- 『風来歌 : 歌集』 現代詩研究所 1969.1
- 『火のひと蓮如』 宝文館出版 1964.1
- 『東京 : 詩集』 現代詩研究所 1963
- 『親鸞の詩と書簡』 在家佛教協会 1956.11
- 『歎異抄』 在家仏教協会 1956.1
- 『論より証拠 : 随筆』 美和書院 1956.1
- 『幸福のありか』 永田文昌堂 1955.1
- 『静岡詩抄』 丸山薫 長田恒雄 山中散生 他 1949
- 『愛情のスタイル』 暁書房 1947
- 『詩集 天の繭』 北園克衛 村野四郎 長田恒雄 天明社 1946
- 『朱塔 : 詩集』 研文書院 1942.12
- 『詩と郷土』 大東亜公論社 1942
- 『朝の椅子 : 詩集』 昭森社 1940
- 『青魚集 : 詩集』 詩洋社 1929
仏教讃歌として発表された作品
- 仏陀(四つの詩からなる交声曲、伊藤完夫作曲)※
- 智慧の朝(伊藤完夫作曲)
- 善き友(伊藤完夫作曲)
- 尼蓮禅河の朝(伊藤完夫作曲)
- 大いなる母~摩耶夫人讃章~(清水脩作曲)※
- 山科の路(清水脩作曲)
- 廟堂頌(三つの詩からなる合唱組曲、清水脩作曲)
- 成道讃歌(清水脩作曲)
- 朝(清水脩作曲)
- 塔(六つの詩からなる交声曲、田中昭徳作曲)
- 野のほとけ(二つの詩からなる合唱曲、田中昭徳作曲)
- 観世音菩薩讃頌(田中昭徳作曲)
- 遊化(田中昭徳作曲)
- 板敷山の夜(清瀬保二作曲)
- 涅槃会[2](下総皖一作曲)
※なお、「仏陀」、「大いなる母」は長田恒雄の勧めにより、田中昭徳も作曲。
校歌/応援歌
脚注
関連人物
外部リンク