長尾街道

長尾街道(ながおかいどう)は、大阪府堺市堺区から奈良県葛城市長尾神社付近に至る古代官道である。

古くは大津道(おおつみち)と呼ばれた。日本書紀推古天皇二十一年(613年)の条に、後に上町台地に首都の難波宮が置かれる「難波より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されていた日本最古の「官道」である「竹内街道」の北1,908m(但し計画値)に平行して整備された。 大津の名は、羽曳野市北宮にある式内大津神社に由来するといわれるが、大和川石川の合流地点が大津と呼ばれた時期があったことがあり、その大津に至る道という意味で大津道といい、細長い海岸浜堤を長狭(ながお)といい、その特徴から長尾街道と名が付いたという。

ほとんどの区域で大阪府道・奈良県道12号堺大和高田線に平行し、堺市の市街地では花田口筋とも呼ばれる。

成り立ち・歴史

  • 奈良時代以降になると、北側に「竜飛道」(のちの奈良街道)が整備された。河内国府(現在の土師ノ里駅付近)で本道と合流し、国分(現在の河内国分駅前)で分かれた、難波宮難波京住吉津飛鳥平城京を結ぶ重要な経路となった。
  • 河内国大和国の間の山越えルートは、明治以前は国分村六軒(柏原市国分本町7丁目付近)から現在の近鉄関屋駅二上駅の北側を通った「関屋越え」のルートであったが、明治13年(1880年)に田尻峠越えのルートが開削された。さらに近辺での付け替えにより現在の国道165号の道のりとなった。

経由地(沿線施設等)

長尾街道・堺市北区北長尾町
(2007年4月8日撮影)
堺市
松原市
羽曳野市
藤井寺市
柏原市
香芝市
葛城市

関連項目