金沢宿(かなざわじゅく)は、甲州街道の江戸から数えて四十三番目の宿場。現在の長野県茅野市金沢に位置する。江戸から48里35町、上諏訪から3里14町に位置する。
概要
甲州街道が整備された際に、上青柳・下青柳両村の住民が権現神社[1]の南と御社宮司社の脇に桝形を設け、その間に宿場を造営したとされる。正保4年(1647年)の「信濃国絵図高辻」では青柳宿[2]と称し、現在よりも上諏訪宿寄りにあったが、宮川の氾濫や火災に遭遇したため、諏訪藩2代藩主諏訪忠恒は慶安4年(1651年)に宿場を金沢村に移転させた[3]。村役人の記録も「慶安四年、青柳宿ヲ金沢宿ト相改メ候」と見え、寛文5年(1665年)の宗門帳には金沢村とある。
金沢宿の宿場は長さ8町、道幅5間で、両側に桝形があり、上町、中町、下町に区分されていた。道の中央と家並みの裏に3尺の用水汐が流れていた。『甲州道中宿村大概帳』によれば総家数は161軒、本陣は1軒、脇本陣なし、問屋は2軒、旅籠は17軒であった。本陣は当初、小松家[4]が務めたが、延宝6年(1678年)には白川家に代わっている。現在は本陣跡が消防の詰め所となっている。問屋役は15日交代で人馬を継ぎたてた。
当宿場と上諏訪宿の間の宿である茅野村(宮川村茅野。現在の茅野市宮川茅野)は、南へ杖突街道が伊那部宿に通じ、高遠藩主や飯田藩主が参勤交代に利用した。また北へは大門街道が上田に通じ、諏訪盆地の交通の要衝となった。
史跡
今も江戸時代の金沢宿の面影を残す史跡。
- 萬霊等・石碑(金沢宿入口)
- 旧甲州街道金沢宿旅籠松坂屋
- 旧甲州街道金沢宿刑場跡
- 旧甲州街道金沢宿茶屋近江屋
- 旧甲州街道金沢宿本陣小松家跡
- 旧甲州街道金沢宿馬方小林家
- 権現の森(金山権現[5]・青柳宿跡)
関連項目
注釈
- ^ 権現の森(金山権現と青柳宿跡)1983年に茅野市の指定文化財(史跡)となった。
- ^ 北国西街道青柳宿とは別である。
- ^ 小林勝郎『義民小松三郎左衛門とその子孫 甲州街道金沢宿本陣問屋ー長野県諏訪市』中央企画出版、1986年小松家年譜参照
- ^ 四代目当主小松三郎左衛門の代で断絶された。
- ^ 武田信玄の開いた金鶏金山(日本の鉱山の一覧参照)で働いていた金山衆(日本全国の金山を掘るプロの集団(コトバンク・世界大百科事典内の金山衆の言及又は黒川金山参照)が、金山に祀られていた金山権現を移築したものと伝えられる。
参考文献
- 「信州の文化シリーズ 街道と宿場」信濃毎日新聞社 1980年
- 「街道物語16 甲州街道」三昧社 1982年
- 『信濃金沢名所史跡マップ』2015年 金沢地区コミュニティ運営協議会 / 金沢の未来を考える研究会著
外部リンク