2代 金岡 又左衛門(かなおか またざえもん、1884年(明治17年)2月10日[1] - 1957年(昭和32年)11月4日[1])は、大正から昭和時代の政治家。実業家。薬剤師。貴族院多額納税者議員。幼名は清彦。
経歴
富山県出身。稲垣梅太郎の三男として生まれ、1903年(明治36年)金岡又左衛門の養子となる。1906年(明治39年)第四高等学校薬学部卒業。
1917年(大正6年)以降、富山商業会議所議員、同会頭、同米穀取引所理事、同県薬剤師会長、中越無尽[注 1]社長を歴任した[1]。
1932年(昭和7年)富山県多額納税者として貴族院議員に互選され[1]、同年9月29日に就任し[4]、同成会に所属し1939年(昭和14年)9月28日まで1期務めた。在任中は医薬制度調査会委員を務めた。
親族
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 『富山大百科事典 上巻』400頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、42頁。
参考文献