醍醐 冬香(だいご ふゆよし)は、江戸時代中期の公卿。正三位権中納言。
概要
桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)・後桃園天皇(118代)の三帝にわたって仕えたが、若くして薨去したために正三位・権中納言止まりだった。黒田継高の娘、厚姫と結納まで交わしていたが早世した。父は右大臣醍醐経胤。弟に権大納言醍醐輝久がいる。
生涯
宝暦8年(1758年)に叙爵。以降累進して侍従・左近衛権少将・左近衛権中将を経て、明和元年(1764年)に従三位となり、公卿に列する。明和4年(1767年)に権中納言に任じられ、明和9年(1772年)まで務めたが、同年に薨去した。享年22。
家族・親族
系譜
醍醐家
醍醐家は、一条昭良の子である醍醐冬基を始祖とし、清華家の一つであった。
皇室との関係
後陽成天皇の男系五世子孫である。後陽成天皇の第九皇子で一条家を継いだ一条昭良の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。
関連項目