都南村(となんむら)は、岩手県の紫波郡にかつて所在していた村である。
1992年4月1日に盛岡市に編入合併し廃止された。
歴史
沿革
行政
- 都南村役場(現在は盛岡市役所都南総合支所)
- 紫波郡都南村大字津志田第一四地割37-2(現在;盛岡市津志田第一四地割37-2)
村長
歴代村長
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
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1 |
吉田敬一 |
1955年(昭和30年)5月7日 |
1957年(昭和32年)11月22日 |
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2 |
田山徳三郎 |
1957年(昭和32年)11月23日 |
1961年(昭和36年)11月22日 |
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3 |
吉田敬一 |
1961年(昭和36年)11月23日 |
1965年(昭和40年)11月22日 |
再任
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4 |
藤沢与三郎 |
1965年(昭和40年)11月23日 |
1977年(昭和52年)2月26日 |
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5 |
藤沢弥重治 |
1977年(昭和52年)2月27日 |
1981年(昭和56年)2月26日 |
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6 |
藤村正雄 |
1981年(昭和56年)2月27日 |
1992年(平成4年)3月31日 |
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交通
鉄道路線
バス
盛岡市との合併
当村内には、盛岡市中央卸売市場や盛岡赤十字病院、岩手県立盛岡工業高等学校などをはじめ、「盛岡」の地名を冠した公共施設の立地も多かった。これに象徴されるように、従前から、当村と盛岡市とは一体となった生活圏に属してきており、合併の目的も、両者の間に分散している都市機能を集積するところにあった。地元の商工会議所などの経済界が積極的に合併を支援したことも、円滑な合併に資した。
旧都南村役場は、合併後は市役所の「総合支所」となり、従前の場所に存置。当初は住民生活と関連の深い部門(道路管理など)が残されたものの、これらの機能は現在残されておらず、支所の機能はほぼ窓口機能のみに限定されている(ただし、盛岡市教育委員会事務局は当総合支所内に入居)。
合併後の「新市建設計画」で、盛岡市は旧都南村地区へ重点的な公共投資を実施。土地区画整理事業や下水道整備事業が大きく進展したほか、慢性的な水不足問題を抱えていた固有の問題も、大規模なダムを擁する盛岡市との合併によって解消された[1]。
ただ、旧都南村域に重点的な投資が行われていることに、旧来の盛岡市域の住民からは不満の声が寄せられることがある[2]。
所轄警察署
合併後も統合されない行政上の区画として、警察署の管轄があった。
旧盛岡市域と旧玉山村域は、盛岡東、盛岡西両署が管轄しているところ、旧都南村域については、かつて紫波郡に属していた時代から合併後も、紫波警察署が管轄していたが、2016年4月1日付けで盛岡東警察署に管轄が移管された。
また都南村は、同じく盛岡市に隣接していた旧滝沢村同様、自動車の登録に際して車庫証明が必要な村であった。
脚注
関連項目