都をどり(みやこをどり)は、4月1日 - 30日にかけて、京都市の祇園甲部歌舞練場で開催される、祇園甲部の芸妓・舞妓による舞踊公演。1872年(明治5年)に始まり、春秋の二回行なった年や太平洋戦争、新型コロナ禍に伴う休演を経て、2024年(令和6年)で150回に達した[1][2]。
沿革
第1回京都博覧会の余興として、万亭の杉浦治郎右衛門と、当時新進であった井上流家元の井上八千代(三世 片山春子)が企画したことに始まる。初演は1872年4月20日(明治5年3月10日)で、京都府知事槇村正直の勧めで都踊、鴨川踊、東山名所踊が競演し、ことに都踊が好評で、以後ほぼ毎年継続した[3]。槇村が作詞を、井上が伊勢古市の亀の子踊り(伊勢音頭の総踊り)を参考に振付を担当した[4]。舞台まで両側の花道が設えられ、今までの舞台とは一味違う革新的で、花道からお揃いの衣装を着けた踊り子たちが登場して観客を驚かせた。
明治時代末期に、八景で構成される現在のスタイルが確立した[2]。京都および日本各地の名所(日光東照宮や三保の松原など)[2]、四季、歌舞伎作品や『源氏物語』といった幅広い題材をとりいれ、その年の干支や話題にちなみ、新たなる志向で上演され続けている。
年表
- 同年 - 祇園甲部歌舞練場耐震改修工事完了。
- 2023年(令和5年):7年ぶりに本拠地での上演。上演期間を通常に戻す。
歴代歌題
1872年~1899年
1900年~1915年
回 |
年代 |
期間 |
歌題 |
作詞 |
備考
|
31
|
1900年(明治33年) |
4月7日~4月27日
|
大和の四季
|
|
|
32
|
1901年(明治34年) |
4月7日~4月27日
|
滋賀のながめ
|
|
|
33
|
1902年(明治35年) |
4月1日~4月28日
|
御代の光り
|
|
|
34
|
1903年(明治36年) |
4月1日~5月20日
|
源氏模様
|
|
|
35
|
1904年(明治37年) |
4月1日~5月28日
|
三ツの月
|
|
|
36
|
1905年(明治38年) |
4月1日~5月28日
|
三ツの神垣
|
|
|
37
|
1906年(明治39年) |
4月1日~5月28日
|
三ツの名所
|
|
|
38
|
1907年(明治40年) |
4月1日~5月28日
|
四方の名所
|
|
|
39
|
1908年(明治41年) |
4月1日~4月30日
|
有職雲井の錦
|
|
|
40
|
1909年(明治42年) |
4月1日~4月30日
|
謡曲四季の眺め
|
|
|
41
|
1910年(明治43年) |
4月1日~4月30日
|
大和の四季
|
|
|
42
|
1911年(明治44年) |
4月1日~4月30日
|
伊勢物語四季の眺め
|
|
|
43
|
1912年(明治45年/ 大正元年) |
4月1日~4月30日
|
有職四季の眺め
|
|
|
44
|
1913年(大正2年) |
4月1日~4月30日
|
美津の美屋志路
|
|
|
45
|
1914年(大正3年) |
4月1日~4月30日
|
新古今御代のことほぎ
|
猪熊浅麿
|
|
46
|
1915年(大正4年) |
4月1日~4月30日
|
今様ゆかりの四季
|
〃
|
|
47
|
同年 |
11月8日~12月10日
|
都名所
|
〃
|
大正天皇即位記念として上演。
|
1916年~1943年
回 |
年代 |
期間 |
歌題 |
作詞 |
備考
|
48
|
1916年(大正5年) |
4月1日~4月30日
|
四季のみやび
|
猪熊浅麿
|
|
49
|
1917年(大正6年) |
4月1日~4月30日
|
菊花弥栄薫
|
〃
|
|
50
|
1918年(大正7年) |
4月1日~4月30日
|
五十鈴の調
|
〃
|
|
51
|
1919年(大正8年) |
4月1日~4月30日
|
今紫四季の栄
|
〃
|
|
52
|
1920年(大正9年) |
4月1日~4月30日
|
花橘袖の薫
|
〃
|
|
53
|
1921年(大正10年) |
4月1日~4月30日
|
輝く日の本
|
〃
|
|
54
|
1922年(大正11年) |
4月1日~4月30日
|
旭の御影
|
〃
|
|
55
|
1923年(大正12年) |
4月1日~4月30日
|
千代の友鶴
|
〃
|
|
56
|
1924年(大正13年) |
4月1日~4月30日
|
浮玉春の賑
|
〃
|
|
57
|
1925年(大正14年) |
4月1日~4月30日
|
長久楽御代の寿
|
〃
|
|
58
|
1926年(大正15年/ 昭和元年) |
4月1日~4月30日
|
千歳の都風
|
〃
|
|
59
|
1927年(昭和2年) |
4月1日~4月30日
|
隆栄の暁天
|
〃
|
|
60
|
1928年(昭和3年) |
4月1日~4月30日
|
旭の輝
|
〃
|
|
61
|
〃 |
11月4日~12月10日
|
奉寿萬歳楽
|
〃
|
昭和天皇即位記念として上演。
|
62
|
1929年(昭和4年) |
4月1日~4月30日
|
色絵の檜扇
|
〃
|
|
63
|
1930年(昭和5年) |
4月1日~4月30日
|
都めぐり
|
〃
|
|
64
|
1931年(昭和6年) |
4月1日~4月30日
|
うき模様義志の面影
|
〃
|
|
65
|
1932年(昭和7年) |
4月1日~4月30日
|
都の壽惠廣
|
〃
|
|
66
|
1933年(昭和8年) |
4月1日~4月30日
|
御國の礎
|
〃
|
|
67
|
1934年(昭和9年) |
4月1日~4月30日
|
四絃の調
|
〃
|
|
68
|
1935年(昭和10年) |
4月1日~4月30日
|
謡曲今様鏡
|
〃
|
|
69
|
1936年(昭和11年) |
4月1日~4月30日
|
続謡曲今様鏡
|
〃
|
|
70
|
1937年(昭和12年) |
4月1日~4月30日
|
風流阿國歌舞伎
|
〃
|
|
71
|
1938年(昭和13年) |
4月1日~4月30日
|
旭光遍輝
|
〃
|
|
72
|
1939年(昭和14年) |
4月1日~4月30日
|
建武の源
|
〃
|
|
73
|
1940年(昭和15年) |
4月1日~4月30日
|
輝く聖蹟
|
〃
|
|
74
|
1941年(昭和16年) |
4月1日~4月30日
|
旭光耀海海洋
|
〃
|
|
75
|
1942年(昭和17年) |
4月1日~4月30日
|
御國の誇
|
〃
|
|
76
|
1943年(昭和18年) |
4月1日~4月30日
|
皇國のみやび
|
〃
|
|
1950年~1960年
1961年~1970年
回 |
年代 |
期間 |
歌題 |
作詞 |
備考
|
88
|
1961年(昭和36年)
|
4月1日〜5月18日
|
京舞扇八景
|
〃
観世元正
片山九郎右衛門
|
|
89
|
1962年(昭和37年)
|
4月1日〜5月10日
|
巴紋都絵姿
|
〃
|
|
90
|
1963年(昭和38年)
|
〃
|
王朝都の栄華
|
〃
|
|
91
|
1964年(昭和39年)
|
〃
|
都のおも影
|
〃
|
|
92
|
同年
|
10月7日〜10月26日
|
都とりどり色模様
|
〃
|
オリンピック東京大会記念
|
93
|
1965年(昭和40年)
|
4月1日〜5月10日
|
美彌古風流
|
|
|
94
|
1966年(昭和41年)
|
〃
|
舞扇源氏物語
|
|
|
95
|
1967年(昭和42年)
|
〃
|
維新其前夜
|
|
|
96
|
1968年(昭和43年)
|
〃
|
舞扇観世水
|
|
|
97
|
1969年(昭和44年)
|
〃
|
舞姿容洛中洛外
|
|
|
98
|
1970年(昭和45年)
|
〃
|
都風流京の四季
|
|
|
1971年~1988年
回 |
年代 |
期間 |
歌題 |
作詞 |
備考
|
99
|
1971年(昭和46年)
|
4月1日〜5月10日
|
京舞忠臣蔵
|
猪熊兼繁
|
|
100
|
1972年(昭和47年)
|
〃
|
能楽風流百年
|
〃
|
都をどり初演100年
|
101
|
1973年(昭和48年)
|
4月1日〜4月30日
|
舞姿都名所
|
〃
|
|
102
|
1974年(昭和49年)
|
〃
|
美彌古物詣
|
〃
|
|
103
|
1975年(昭和50年)
|
〃
|
都辺縁四季
|
〃
|
|
104
|
1976年(昭和51年)
|
〃
|
京舞都面影
|
〃
|
|
105
|
1977年(昭和52年)
|
〃
|
いろとりどり京の面影
|
〃
|
|
106
|
1978年(昭和53年)
|
〃
|
京舞都繪姿
|
〃
|
|
107
|
1979年(昭和54年)
|
〃
|
都風流京の四季
|
〃
|
|
108
|
1980年(昭和55年)
|
〃
|
月雪花名所図絵
|
阪倉篤義・宗政五十緒
|
|
109
|
1981年(昭和56年)
|
〃
|
名所尽四季花鳥
|
〃
|
|
110
|
1982年(昭和57年)
|
〃
|
花競都名所絵巻
|
〃
|
|
111
|
1983年(昭和58年)
|
〃
|
花暦都八景
|
〃
|
|
112
|
1984年(昭和59年)
|
〃
|
京近江名所絵尽
|
〃
|
|
113
|
1985年(昭和60年)
|
〃
|
平家物語縁名所
|
〃
|
|
114
|
1986年(昭和61年)
|
〃
|
巡寅年京名所鑑
|
〃
|
|
115
|
1987年(昭和62年)
|
〃
|
華模様名所玉章
|
〃
|
|
116
|
1988年(昭和63年)
|
〃
|
雪月花洛中洛外
|
〃
|
|
1989年~2016年
回 |
年代 |
期間 |
歌題 |
作詞 |
備考
|
117
|
1989年(昭和64年/
平成元年)
|
4月1日~4月30日
|
百千鳥歌舞名所
|
阪倉篤義・宗政五十緒
|
|
118
|
1990年(平成2年)
|
〃
|
御代始歌舞七種
|
〃
|
|
119
|
1991年(平成3年)
|
〃
|
四季詠諸国物語
|
〃
|
|
120
|
1992年(平成4年)
|
〃
|
京東西四季彩色
|
〃
|
|
121
|
1993年(平成5年)
|
〃
|
酉歳四季寿
|
〃
|
平安建都千二百年記念
|
122
|
1994年(平成6年)
|
〃
|
千載繁栄平安京
|
〃
|
|
123
|
1995年(平成7年)
|
〃
|
新化粧歌舞姿絵
|
〃
|
|
124
|
1996年(平成8年)
|
〃
|
還春平安豊楽賑
|
宗政五十緒
|
|
125
|
1997年(平成9年)
|
〃
|
長春平安絵草紙
|
〃
|
|
126
|
1998年(平成10年)
|
〃
|
春賑洛中洛外図
|
〃
|
|
127
|
1999年(平成11年)
|
〃
|
春舞能楽名所尽
|
〃
|
|
128
|
2000年(平成12年)
|
〃
|
新千年名所図会
|
〃
|
|
129
|
2001年(平成13年)
|
〃
|
新世紀歌舞姿絵
|
〃
|
|
130
|
2002年(平成14年)
|
〃
|
仮名手本都玉章
|
〃
|
都をどり初演130周年
宗政五十緒最後の作品
|
131
|
2003年(平成15年)
|
〃
|
京暦歌舞伎魁
|
橋本初子
|
都をどり初の女性作家による演目
|
132
|
2004年(平成16年)
|
〃
|
春宴京歌謡都伝説
|
〃
|
|
133
|
2005年(平成17年)
|
〃
|
雪月花古都映絵
|
〃
|
|
134
|
2006年(平成18年)
|
〃
|
京舞歴史絵鏡
|
〃
|
|
135
|
2007年(平成19年)
|
〃
|
都風流名所絵巻
|
〃
|
|
136
|
2008年(平成20年)
|
〃
|
都今源氏面影
|
〃
|
|
137
|
2009年(平成21年)
|
〃
|
水映桜花絵巻
|
〃
|
|
138
|
2010年(平成22年)
|
〃
|
桜花訪京都歴史
|
〃
|
|
139
|
2011年(平成23年)
|
〃
|
春花京都名所尽
|
〃
|
|
140
|
2012年(平成24年)
|
〃
|
平清盛由緒名所
|
〃
|
|
141
|
2013年(平成25年)
|
〃
|
春宴四季巡昔話
|
〃
|
|
142
|
2014年(平成26年)
|
〃
|
昔伝来大和宝尽
|
植木朝子
|
|
143
|
2015年(平成27年)
|
〃
|
花都琳派染模様
|
〃
|
|
144
|
2016年(平成28年)
|
〃
|
名所巡四季寿
|
〃
|
|
2017年以降
回 |
年代 |
期間 |
歌題 |
作詞 |
備考
|
145
|
2017年(平成29年)
|
4月1日~4月23日
|
洛北名所逍遥
|
植木朝子
|
歌舞練場改修のため、京都芸術大学内の劇場「春秋座」にて上演
|
146
|
2018年(平成30年)
|
4月1日~4月24日
|
続洛北名跡巡
|
〃
|
|
147
|
2019年(平成31年)
|
4月1日~4月27日
|
御代始歌舞伎彩
|
|
南座新開場記念。 南座での上演は67年ぶり。
|
148
|
2022年(令和4年)
|
4月1日~4月24日
|
泰平祈令和花模様
|
|
令和初の公演。2019年から3年ぶりの上演。
|
149
|
2023年(令和5年)
|
4月1日~4月30日
|
新華舞台祇園繁栄
|
|
祇園甲部歌舞練場新開場記念
|
150
|
2024年(令和6年)
|
4月1日~4月30日
|
源氏物語舞扇
|
|
150回記念
|
しくみ
都をどりは原則として、総踊形式で一貫し、京都の名所などを長唄などで紹介しながら踊り、明治以来その形式で踏襲されている。最初の場面は井上流の故事にちなみ銀襖を張り詰められた舞台から始まる。銀襖は御所を表している[2]。
大正天皇即位記念公演から「別踊」(べつおどり)という中挿みの場面が加わり、さらに内容も増し、主に歌舞伎や文学、逸話などを取り入れ10分間で踊りながら物語の内容を説明をする。毎年、都をどりの作家らがマンネリを恐れ、それに悩ませながら製作し、振り付け、音楽、美術などの打ち合わせを重ねて、来年の春までに準備を続けている。
お茶席
上演前、祇園甲部歌舞練場の2階でお茶席が設けられる。一日交替制で点茶をする芸妓は京風の島田髷を地毛で結い、衿を裏返す黒紋付の正装姿で登場する。控えは舞妓が担当をする。時代によっては舞妓、当時甲部にいた太夫が点茶を担当したり、複数の芸妓が時間によって交替することがあった。また現在、控えの舞妓は一人だが、控えの舞妓が二人であった時代もあった。
点茶の形式は従来の形式ではなく「立礼式」というスタイルでこれは外国人を接待する為に裏千家により考案されたもので、最初は屋外で設置されていた。歌舞練場が完成するとそこに移し現在に至る。
2019年、2022年は南座施設内の都合でお茶席は設けなかった[11]。2023年、再開された。
都をどりと映画界
「都をどり」と日本映画の関係は古く、その歴史は活動写真時代に遡る。松竹映画の基礎を築いた名所長・名監督である野村芳亭は、祇園都をどり初期の舞台背景に携わった画家だった。片岡千恵蔵プロダクションの美術で働いた平松智恵吉、日活で美術を担当した角井嘉一郎も、かつては都をどりの背景を描いた人たちだった[12]。
参考文献
- 溝縁ひろし撮影『祇園 舞ごよみ』京都書院、1992年
脚注
出典
関連項目
外部リンク
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都をどりに関連するカテゴリがあります。
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六花街 | |
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花街の「をどり」 | |
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現存しない花街(遊廓) 年号は廃止年を表す |
明治・大正・昭和初期 | |
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売春防止法施行時(1958年) | |
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売春防止法施行後 | |
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教育機関 | |
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関連用語 | |
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関連組織 | |
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