近藤 秋男(こんどう あきお、1930年11月20日[1] - )は、大分県出身の日本の実業家。元全日本空輸社長。
略歴
- 1954年(昭和29年)九州大学法学部政治学科卒業[2]
- 1954年(昭和29年)日本ヘリコプター輸送株式会社(現・全日空)に入社[2]
- 1967年(昭和42年)人事課長
- 1969年(昭和44年)航務本部管理室長
- 1971年(昭和46年)営業本部営業部長。地方の観光需要の喚起に尽力。また、ゴルフの国内男子ツアー「全日空札幌オープン」を企画した。[2]。
- 1975年(昭和50年)人事部長
- 1976年(昭和51年)取締役営業副本部長
- 1981年(昭和56年)6月30日 常務取締役人事調達施設広報担当
- 1981年(昭和56年)10月 沖縄全日空リゾート株式会社の代表取締役社長を兼務[2]。
- 1982年(昭和57年)6月29日 全日空専務取締役
- 1983年(昭和58年)全日空副社長
- 1987年(昭和62年)5月19日、中村前社長の急逝により全日空社長に就任[2]。
- 1987年(昭和62年)7月、航空審議会委員に就任(1993年6月まで)[2]
- 1990年(平成2年)3月、成田空港問題に関連して中核派による放火テロを受ける[3]。
- 1993年(平成5年) 全日空最高顧問
- 2001年(平成13年)4月、勲二等旭日重光章受章[2]
- 2004年(平成16年) 5月、九州大学東京同窓会会長[4]
脚注
- ^ 『読売年鑑』(2000年)
- ^ a b c d e f g 大空への挑戦 ANA50年の航跡 108,109頁
- ^ 原口和久『成田空港365日』崙書房(2000年)、62頁。
- ^ 九州大学東京同窓会が設立されました九州大学平成16年5月17日掲載
参考文献
- ANA50年史編集委員会『大空への挑戦 -ANA50年の航跡-』全日本空輸株式会社、2004年。