赤穴 久清(あかな ひさきよ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。尼子氏の家臣。出雲国赤穴城(瀬戸山城)主。
略歴
文明3年(1471年)に赤穴幸清(美作守)の子として誕生[1]。
始め京極氏に従っていたが、尼子経久が下克上で出雲を征服して戦国大名になると、尼子氏の家臣として従った。永正12年(1515年)に長男・光清に家督を譲って隠居した。
天文11年(1542年)7月に大内義隆の侵攻(第一次月山富田城の戦い)で光清が戦死すると、孫の盛清に家督を継がせて、自らはその後見人を務め、大内・毛利氏の侵攻から瀬戸山城を守りきり、光清と同じように尼子氏に忠誠を尽くした。
天文22年(1553年)1月26日に死去。享年83。
系譜
脚注
- ^ 久清の孫にも同名の幸清(右京亮)がいる。
参考文献