赤痢(せきり)は、日本のパンクバンド。
概要
「ガールズ・パンク・バンドの先駆者的な存在」と呼ばれ[1]、活動当時のみならず、後のガールズ・バンドに多大な影響を与えている[2]。
ソニック・ユースのボーカルであるサーストン・ムーアが訪日時に赤痢のファンであることを公言するなど、日本国外のアーティストにもファンが多く、カリスマ的な人気を博した[3]。岡村詩野は「関西パンク版ザ・ロネッツ」と評している[3]。
音楽的には、ハードコア・パンク、ポップチューン、民族音楽の要素も取り入れており、独自のオルタナティヴ・ロックを展開したとして、評価が高い[2]。
メンバー
- ミユ(植村美友) : ボーカル 1968年8月23日生
- クミコ(鈴木久美子) : ギター 1968年6月2日生
- アヤ(大西あや) : ドラム 1968年10月1日生
- ユウ(奥村ゆう) : ベース 1968年5月18日生
- モアイ : ベース
1989年春にベースのユウが脱退、夏に新ベーシストとしてモアイが加入。
1992年9月にモアイが脱退した後は、1994年3月にフジヤマ開店10周年を記念して行われたライブにはユウが一時的に復活するが、1995年の活動停止までトリオ編成で活動した。
略歴
1983年8月1日、京都にて、誰も楽器の演奏経験がない中学生同士で、ヴォーカルのミユを中心として結成される[3]。
1985年にデビューEP『赤痢』をリリースした際にはメンバーは高校生であった[2]。『赤痢』収録の「夢見るオマンコ」の歌詞は強烈なインパクトを与え、波紋を呼んだ[2]。当初はコンチネンタル・キッズが主宰するインディーズ・レーベル「BEAT CRAZY」からEPをリリースしていたが、JOJO広重が主宰する「アルケミーレコード」に移籍する[3]。メジャーデビューはせず、1995年まで関西を中心にインディーズシーンで断続的に活動した[2]。
2013年には結成30周年を記念して10枚組ボックスセット『赤痢匣』とベスト盤『赤痢初期音源集』が発売された[4]。
2017年には初CD化音源含むベスト盤『Secret File〜THE BEST OF SEKIRI〜』が発売された[1]。
ディスコグラフィ
音楽作品
- 赤痢(7"EP、1985年、BEAT CRAZY)
- PUSH PUSH BABY (12"EP、1987年、アルケミーレコード)
- 私を赤痢に連れてって(LP、1988年、アルケミーレコード)
- LOVE STAR (12"EP、1988年、アルケミーレコード)
- 赤痢物語(CD、1989年、アルケミーレコード)
- 今夜星光爛漫(7"EP、1990年、アルケミーレコード)
- 赤痢Ⅱ(CD、1990年、アルケミーレコード)
- SEKIRI(7"EP、1990年、Public Bath)
- スイム・マヒマヒ(8cmCD、1991年、アルケミーレコード)
- 赤痢谷(CD、1991年、アルケミーレコード)
- NAKED SEKIRI(CD、1992年、アルケミーレコード)
- THREE(CD、1995年、アルケミーレコード)
- 赤痢の花園 〜TWIN VERY BEST COLLECTION〜(CD、2004年、テイチク)
- 仏滅ラプソディ〜THE BEST OF SEKIRI〜(CD、2012年、テイチク)
- 赤痢匣(9CD+1DVD BOX、2013年、YOUTH INC.)
- 赤痢初期音源集(CD、2013年、YOUTH INC.)
- Secret File〜THE BEST OF SEKIRI〜(CD、2017年、テイチク)
参加作品
- WE ARE BEAT CRAZY(CD、1986年、キャプテンレコード)
- オムニバス・アルバム。2曲参加。
- Taste Of Wild West 1(CD、1990年、WAX)
- WE ARE BEAT CRAZY 2011(CD、2011年)
映像作品
- LIVE and VACATION(VHS、アルケミーレコード)
- LIVE and HAWAIIAN(VHS、アルケミーレコード)
- Oh!MORO(VHS、○か×)
- 半透明にして下さい(1994年、VHS、フジヤマ)
脚注
出典