豊田 実頴(とよだ みとし、1853年(嘉永6年2月[1]) - 1932年(昭和7年)3月29日[1])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
広島県出身[1]。漢学を修めた後、眼科医術を学び、眼科医となる[1]。安芸郡吏、広島県会議員、同常置委員、安芸郡会議員、呉市会議員、同参事会員となる[1]。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において広島1区から立憲改進党公認で立候補して当選する[2]。1892年の第2回衆議院議員総選挙では次点で落選した[3]。その後、1932年に死去した。
脚注
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』433頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』5頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』11頁。
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
関連項目