蟹江 義丸(かにえ よしまる、1872年(明治5年)3月 - 1904年(明治37年)6月19日)は、日本の哲学者。
経歴
1972年、富山県富山市鹿島町に蟹江晟の子として生まれる。祖父の蟹江基徳は富山藩の重臣で、家老を務めた[2]。1890年(明治23年)、第四高等中学校に入学し、翌年第一高等中学校に移った。1893年(明治26年)、東京帝国大学文科大学国史学科に入学したが、1年間の休学を経て哲学科に転じ、1897年(明治30年)に卒業した。その後体調を崩し、京都で静養の傍ら、真宗大学(現在の大谷大学)で講師を務めた。1年ばかりの後、東京帝国大学大学院に入り、カント及び以後のドイツ哲学を専攻し、さらに倫理学・東洋倫理学を専攻した。その他、東京専門学校(現在の早稲田大学)・東京法学院(現在の中央大学)・浄土宗高等学院(現在の大正大学)で講師を務めた。
1900年(明治33年)、東京高等師範学校講師となり、のち教授となった。1903年(明治36年)には「孔子研究」を提出して文学博士の学位を取得。翌年、結核により逝去。享年32歳。墓所は富山市内の光厳寺。
著書
- 『西洋哲学史』(博文館、1899年)
- 『パウルゼン氏倫理学』(育成会、1900年)
- 『カント氏倫理学』(育成会、1901年)
- 『ヴント氏倫理学』(育成会、1901年)
- 『日本倫理彙編』(育成会、1903年) - 井上哲次郎と共編。江戸儒学の資料集。
- 『孔子研究』(金港堂、1904年) - 中国で注目され、王国維・梁啓超・銭穆がそれぞれ翻訳した。
脚注
参考文献