藤堂 高英(とうどう たかひで)は、江戸時代の武士。藤堂家一門重臣。藤堂出雲家第2代。藤堂高虎の甥。通称は出雲。
家系
藤堂出雲家は、藤堂高虎の異母弟高清に始まる。宗家の津藩主5代藤堂高敏で高虎の血統が絶え、高英の孫高治が養子として6代藩主となって以降は藩主が出雲家の血を引くこととなる。
文武に秀でた人物を多く輩出している。藤堂高英陸軍中将は子孫。
略歴
寛永6年(1629年)1月27日、上野城代藤堂高清の次男として、伊賀国上野城で生まれた。母は側室勝沼氏。
寛永17年(1640年)2月に江戸で幕府証人を務める兄高秀が死去。8月には父高清も死去し、10月に家督と知行7000石を相続。まだ12歳と幼いため津に移住し、上野城代には藤堂元則が就任した。
慶安元年(1648年)8月25日侍組を預けられ津城付士大将となる。承応元年(1652年)3月、幕府の証人として長男小太夫(高明)を江戸に送る。
元禄17年(1704年)2月17日死去。享年76。葬地は三重県津市四天王寺。家督は長男高明が相続した。
参考文献