藤原 為親(ふじわら の ためちか)は、平安時代後期の貴族。藤原北家勧修寺流、参議・藤原親隆の長男。官位は従四位上・右中弁。
経歴
保元2年(1157年)従五位下から従五位上に叙され、春宮権大進に叙任される。
左衛門権佐を経て、永万元年(1165年)六条天皇の五位蔵人に補され、永万2年(1166年)権右少弁に任ぜられる。仁安2年(1167年)左少弁に転じ、長門権守を兼ねる。嘉応2年(1170年)従四位下・右中弁に叙任され、嘉応3年(1171年)従四位上・修理右宮城使に至るが、承安2年(1172年)2月7日に若くして卒去した[2]。
官歴
※以下、註釈の無いものは『弁官補任』の記載に従う。
- 保元2年(1157年)10月22日:従五位上に叙す(親隆讓。常寧殿)。10月27日:春宮権大進を兼ぬ[3]。
- 永万元年(1165年)6月25日:五位蔵人に補す[4]。正五位下・左衛門権佐。
- 永万2年(1166年)6月6日:権右少弁に任ず(左衛門権佐・五位蔵人を辞し之に任ず)。9月19日:装束使と為す。
- 仁安2年(1167年)正月30日:左少弁に転じ、長門権守を兼ぬ(使勞)。12月30日:装束使を停む。
- 嘉応2年(1170年)正月12日:右中弁に転ず。3月24日:従四位下に叙す(春日行幸行事賞)。
- 嘉応3年(1171年)正月19日:従四位上に叙す(朝覲行幸行事賞。建春門院御給)。4月7日:修理右宮城使と為す。
系譜
脚注