藤原 挙賢(ふじわら の たかかた、天暦7年(953年) - 天延2年9月16日(974年10月4日))は、平安時代中期の貴族。藤原北家九条流、摂政太政大臣・藤原伊尹の次男。官位は正五位下・左近衛少将。前少将と号した。
経歴
父・藤原伊尹の執政下で左兵衛権佐を経て、天禄元年(970年)左近衛少将に五位蔵人を兼ね、円融天皇の身近に仕える。翌天禄2年(971年)弟の義孝が右近衛少将(または左近衛少将)に任ぜられ、兄弟で続けて近衛少将となったことから、挙賢は前少将と呼ばれた。天禄3年(972年)正月には従五位上・蔵人頭に叙任されるが、同年11月に伊尹が没してしまい、執政の座は叔父の兼通へ移る。
天延2年(974年)当時流行していた疱瘡に罹り、9月16日に弟の義孝と同日に没した。同じ日の朝に挙賢が、夕方に義孝が死亡したとされる[1]。享年22。
人物
弟の義孝と揃って容姿に優れていた。一方で、余りにも端正な性格であった義孝に反発して、少し猛しく荒々しい性格であったという[1]。
官歴
注記のないものは『近衛府補任』による。
系譜
脚注
- ^ a b 『大鏡』太政大臣伊尹 謙徳公
- ^ a b 『蔵人補任』
- ^ 『尊卑分脈』
参考文献