藤井 啓之助(ふじい けいのすけ、明治21年〈1888年〉3月 - 昭和34年〈1959年〉3月15日[1])は、日本の外交官。
経歴
群馬県群馬郡生まれ[1]。第一高等学校、東京帝国大学法科大学政治学科卒業[1][2]。
大正2年(1913年)10月外交官及領事官試験に合格、翌3年(1914年)から領事官補として長春、ホノルル、サンフランシスコに勤務、大正5年(1918年)から7年(1920年)のワシントン勤務を経て廈門領事に任命される。大正11年(1924年)に電信・文書・翻訳課長、昭和2年(1926年)に人事課長も兼ね、昭和5年(1930年)に在英日本大使館へ勤務することになりイギリスへ移った[2]。
翌6年(1931年)にドイツのハンブルク総領事に転任、昭和7年(1932年)から翌8年(1933年)まで在独日本大使館で臨時代理公使を務め、その後ワシントン、ロンドンに駐在した[3]。昭和12年(1937年)から昭和14年(1939年)まで在チェコスロバキア公使を務め昭和15年(1940年)に退職、昭和34年(1959年)に死去[2]。
栄典
家族
出典
関連文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下巻』人事興信所、1943年。
- Heinz Eberhard Maul, Japan und die Juden: Studie über die Judenpolitik des Kaiserreiches Japan während der Zeit des Nationalsozialismus 1933 - 1945 (Dissrtation submitted to Rheinischen Friedrich-Wilhelms University in Bonn, mentioning Fujii) [2]
- 片桐庸夫「藤井啓之助」『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年。
- 君島一郎『朶寮一番室』時事通信社、1967年。
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在チェコスロヴァキア全権公使 | |
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在プラーグ(プラハ)総領事 |
- 総領事館開設
- 市毛孝三1939-1940
- 杉原千畝総領事代理1940-1941
- N/A
- 閉鎖1941
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在チェコスロヴァキア全権大使 | |
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在チェコ・スロヴァキア全権大使 | |
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在チェコ全権大使 | |
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カテゴリ |
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総領事 | |
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出張駐在官事務所長 |
- 小坂節雄2012-2013
- 深川康2013-2014
- 領事事務所に名称変更2014
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領事事務所長 |
- 深川康2014-2015
- 総領事館に格上げ2016
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総領事 | |
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