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この項目では、昭和期まで活動した尺八奏者、民謡歌手について説明しています。幕末・明治期の人吉藩出身の人物については「菊池淡水 (肥後人吉藩士)」をご覧ください。 |
菊池 淡水(きくち たんすい、1902年9月8日 - 1990年4月1日[1])は、日本の尺八演奏者、民謡歌手。岩手県和賀郡湯田町(現・西和賀町)に生まれる。本名は滋直(しげなお)。
初め横手市で板金屋を営んでいる伯父の所に弟子入りしたが、仕事が嫌で、16歳の時、奉公先から友人の山川商店の息子と2人で逃げて上京した。上京先で、宮城県出身の後藤桃水に師事した。
1950年に日本民謡協会を設立・育成し、民謡発展の基礎を作り上げ、日本で民謡を初めて五線譜で表し出版した。大倉喜七郎の肝煎りで考案されたオークラウロ(尺八とフルートを掛け合わせた楽器)の奏者としてNHK交響楽団などとも共演した。
淡水の威徳を偲ぶ人々の手で、湯田町(現・西和賀町)上野々の銀河ホールの庭に淡水の胸像が建てられている。
脚注