荒木 栄蔵(荒木 榮藏[1][2][3]、あらき えいぞう、旧姓・鍵岡、1865年3月5日(慶応元年2月8日)[4] - 1934年(昭和9年)9月24日[5])は、日本の商人(皮革商[1][6][7]、皮革貿易商[8])、資産家[9][10]、実業家。族籍は大阪府平民[2][4]。
経歴
和歌山市生まれ[3]。鍵岡惣四郎の三男[2][3][8][11]。1881年[3]、荒木栄蔵の養子となる[4]。1913年に先代が逝去し[3]、義弟栄典の後を襲い家督を相続する[6][8]。
荒木商店という商号の下に家業を継承し、皮革貿易商に従事する[3]。大阪皮革商同業組合組長[3]、六甲製革取締役[4]、西浜土地建物取締役[8]・同社長[12]、共榮合名会社代表社員などをつとめる[8]。
また公共事業に尽力する[3]。賞勲局総裁より褒章を、また日本赤十字社社長より有功章を下賜される[3]。
人物
『部落の人豪』によると「西浜部落の大資産家である」という[9]。趣味は生花、茶の湯[3]。住所は大阪市南区木津北島町二丁目[7]、浪速区栄町二丁目[1][2][3][8]。
家族・親族
- 荒木家
- 親戚
脚注
参考文献
- 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
- 芝弥一郎編『大阪人士商工銘鑑』大阪人士商工銘鑑発行所、1902年。
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 高木長蔵編『資産家国の光 京都府下・大阪府下・兵庫県下 大正9年3月調査』高木長蔵、1920年。
- 蘇人寺田勇吉『部落の人豪』藤屋商店出版部、1920年。
- 帝国興信所編『帝国銀行会社要録 附・職員録 大正11年』帝国興信所、1922年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 実業社編『大阪商工組合大鑑 大礼紀念』実業社、1929年。
- 交詢社編『日本紳士録 第33版』交詢社、1929年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1932年03月23日』日本マイクロ写真、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1934年11月15日』日本マイクロ写真、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。