荒尾 成房(あらお なりふさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。池田氏の家臣。
生涯
弘治2年(1556年)、織田氏の家臣・荒尾善次の次男として誕生。元亀3年(1572年)、兄・善久が三方ヶ原の戦いで戦死したため、その家督を相続した。
天正3年(1575年)、長篠の戦いに出陣する。後に姉・善応院が嫁いだ池田恒興に仕え、若森城と3000貫の知行を賜る。天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いで恒興が戦死した後は、その跡を継いだ輝政に仕えた。天正18年(1590年)、輝政が三河吉田城主となると、牛久保城代となる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、輝政が播磨姫路52万石の領主となると、龍野城代となり1万石の知行を賜る。寛永2年(1625年)、隠居して嫡男・成利に家督を譲り、隠居料として3000石を賜る。
寛永7年(1630年)、死去。成利は藩主池田氏の外戚として米子城代、鳥取藩家老を務めた。
次男・嵩就は叔父隆重の養子となり、子孫は倉吉領主、鳥取藩家老を務めた。三男・三正は和田家を相続した。四男・久成は江戸幕府に仕え旗本となった。久成の四男は水戸藩家老である藤井徳昭。