翁長 助静(おなが すけしず[1] / じょせい[2][3]、1907年(明治40年)8月25日[4] - 1983年(昭和58年)2月6日[4])は、日本の教育者。政治家。沖縄県真和志市(現・那覇市)長。
沖縄県真和志間切(のち島尻郡真和志村→真和志市、現・那覇市)に生まれる[4]。沖縄県立沖縄第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を経て[4]、1926年、沖縄県師範学校本科第二部卒[4]。
沖縄県内の小学校の訓導を経て[4]、1944年、南風原青年学校校長となる[4]が、太平洋戦争は激化する一方で、翁長は妻子を台湾に疎開させた[5]。翌年、米軍上陸による沖縄戦に遭遇し、実父が目の前で被弾し、死亡した[6]。
戦後は小学校校長に復帰し、1948年、真和志村長に当選[4][7]、1950年に再選したが、選挙の結果更正により、対立候補が当選者となり、村長を失職した[8]。失職後は琉球新報社業務局長、那覇市企画部長、琉球商工会議所事務局長などを歴任[4]。1954年の真和志市長選挙に立候補し、市長に返り咲いた[9]。市長は真和志市が1957年に那覇市に編入されるまで務めた。
その後は立法院議員を1期務め、那覇市教育委員長、沖縄都市建設(株)取締役社長などを務めた[4]。1983年に死去した。
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