織田 信昌(おだ のぶまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は四郎三郎。尾張国岩倉城主[1]。
織田信光の次男として誕生。織田信成の弟。織田信実の養子に入る。
伊勢国の北畠氏攻めでは、従兄弟である織田信長、信長の子・信雄、信長の弟・信包らの配下として活躍する。
天正2年(1574年)8月2日、第三次長島攻めで討死した。