織田信昌 (戦国武将)

 
織田信昌
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正2年8月2日1574年8月18日
別名 通称:四郎三郎
官位 伊勢守[1]
主君 織田信長
氏族 織田弾正忠家(勝幡織田氏)
父母 父:織田信光、養父:織田信実
兄弟 信成信昌仙千代
津田長義森高次
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織田 信昌(おだ のぶまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将通称は四郎三郎。尾張国岩倉城[1]

略歴

織田信光の次男として誕生。織田信成の弟。織田信実の養子に入る。

伊勢国北畠氏攻めでは、従兄弟である織田信長、信長の子・信雄、信長の弟・信包らの配下として活躍する。

天正2年(1574年)8月2日、第三次長島攻めで討死した。

系譜

脚注

  1. ^ a b 『系図纂要』画像表示 - SHIPS Image Viewer”. clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp. 2024年11月30日閲覧。