緒方勝一

緒方 勝一
生誕 1875年1月25日
佐賀県
死没 (1960-12-28) 1960年12月28日(85歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1896 - 1934
最終階級 陸軍大将
指揮 技術本部長
陸軍造兵廠長官
独立攻城重砲兵第2大隊長
戦闘 日露戦争
第一次世界大戦
*青島の戦い
墓所 多磨霊園
テンプレートを表示

緒方 勝一(おがた しょういち[1][注 1]1875年明治8年)1月25日[1][2] - 1960年昭和35年)12月28日[1][2])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍大将

経歴

佐賀県出身[1][2][3]。緒方二郎の三男として生れる[1]成城学校を経て、1896年5月、陸軍士官学校(7期)を卒業[1][2][4]。翌年1月、砲兵少尉任官、東京湾要塞砲兵連隊付となる[1][4]1900年12月、陸軍砲工学校高等科を卒業。フランス駐在(軍事研究)、陸士教官を歴任[1]日露戦争では第4軍副官として出征した[1]

その後、技術審査部勤務、重砲兵第2連隊付を歴任[1]第一次世界大戦における青島の戦いでは、独立攻城重砲兵第2大隊長として出征した[1][2][3]1915年、技術審査部付としてフランスに出張し、欧州戦線のフランス軍観戦武官として従軍[1][2][3]陸軍歩兵学校研究部員、技術本部第1部長などを歴任し、1920年8月、陸軍少将に進級した[1][3]陸軍重砲兵学校長、砲工学校長、陸軍科学研究所長などを経て、1925年5月、陸軍中将となり、1928年3月、陸軍造兵廠長官に就任[1][2][3]1931年8月、陸軍大将に進み技術本部長に着任[1][2][3]1934年8月、予備役に編入された[1][2][3]

栄典

位階
勲章

親族

脚注

注釈

  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』125頁では「かついち」。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本陸海軍総合事典』第2版、33頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』169-170頁。
  3. ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』125頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』124-125頁。
  5. ^ 『官報』第2434号「叙任及辞令」1920年9月11日。
  6. ^ 『官報』第1066号「叙任及辞令」1930年7月19日。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。