網蔵 平輔(あみくら へいすけ、1870年12月23日(明治3年11月2日[3])- 1947年(昭和22年)2月18日[3][4])は、明治時代後期から昭和時代の日本の大地主[3]、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。幼名・静[3]。妹の夫は貴族院議員 秋山源兵衛。
経歴・人物
網蔵輝祖[注釈 1]の孫、輝明の長男として生まれ、1889年(明治22年)2月に家督を相続する。本籍は山梨県北巨摩郡塩崎村で農業を生業にした。明治法律学校を修了した[4][注釈 2]。
山梨証券監査役として山梨県多額納税者に列し、1915年(大正4年)貴族院議員に互選され、同年4月29日[6]から1918年(大正7年)9月28日まで在任した[4]。
ほか、北巨摩郡会議員、同郡塩崎村長を務めた[4]。
脚注
注釈
- ^ 『山梨百科事典』増補改訂版、38頁では先々代平輔を襲名とある。
- ^ 『山梨百科事典』増補改訂版、38頁では専修大学卒業。
出典
参考文献