細川 興栄(ほそかわ おきなが)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。常陸国谷田部藩の第4代藩主。官位は従五位下・長門守。
略歴
万治元年(1658年)、第3代藩主・細川興隆の長男として誕生した。
元禄2年(1689年)閏1月14日、父の隠居により家督を継ぐ。宝永6年(1709年)3月、従五位下・長門守に叙位・任官する。
短慮な上に粗暴で、殺生を好んだとされており、藩政では重税を強いて領民を苦しめ、家臣に対しても些細なことで厳罰に処するなど、悪政を行なったといわれる。享保13年(1728年)11月23日、家督を興虎(婿養子・細川興誠の長男)に譲って隠居し、軸雲と号した。
元文2年(1737年)7月19日に死去した。享年80。
系譜
父母
正室
子女
養子
細川家 谷田部藩4代藩主 (1689年 - 1728年) |
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茂木藩 | |
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谷田部藩 | |
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茂木藩 | |
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