第十五航空隊[1](だい15こうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。2代存在するが、初代・二代とも陸上攻撃機・戦闘機を主力とする戦爆連合部隊として、支那事変(日中戦争)中盤に華中・華南・仏印方面で内陸偵察・爆撃に従事した。
支那事変(日中戦争)序盤の航空戦は日本の圧倒的な勝利で推移したが、広大な大陸を制圧する陸上戦力は十分なものではなく、中国軍は漢口を拠点として日本軍と対峙していた。漢口を陥落させることによって華中の平定を完了させ、中国政府を屈服させることに期待した大本営は、昭和13年度に漢口攻略を完遂するために戦力の全力投入を図った。華中に進出した海軍航空隊は艦上機からなる第十二航空隊・第十三航空隊があり、十三空を陸上攻撃機隊に転換して爆撃能力を向上させた。一方で戦闘支援に向いた小回りの利く艦上爆撃機を欠くことになったため、これを補うべく編成したのが初代十五空である。
所期の目的である漢口攻略に成功したため、作戦のために編成した十五空は使命を終えた。解散後は一部が中国戦線の補充に充てられ、主力は大村に帰還した。
日中戦争中盤に華南の攻略と援蒋ルート切断を続行するため、第十四航空隊と高雄海軍航空隊が進出して活動していた。昭和15年度は消耗した高雄空を再建させるために原隊復帰が必要となった。戦力ダウンを補うべく、高雄空に準ずる規模の陸攻隊を臨時編成して華南に投入することとなり、二代目の十五空が編成された。当初は戦闘機を欠き、防空と護衛を十四空に委ねていたが、夏の重慶爆撃作戦時から戦闘機隊の編入を受けて戦爆連合隊に変貌した。
以後、華南方面で爆撃・哨戒・交通遮断に従事。
9月頃より零式艦上戦闘機の十三空・十四空投入にともない、両隊の九六式艦上戦闘機を編入。
以後も仮復旧した効果橋・恵道橋の再切断や車列爆撃・道路破壊に従事。
1年間の実戦経験を積んだ搭乗員を中心として、新たに元山海軍航空隊と美幌海軍航空隊を編成することとなったため、木更津飛行場へ帰還した。元山空要員は機体がそのまま譲渡されたために戦爆連合隊として発足し、美幌空要員は新たに陸攻があてがわれ、陸攻隊となった。両隊はまもなく第二連合航空隊に編入され、昭和17年4月にラバウルへ元山空陸攻隊が進出するまで仏印・マレー方面で同一行動を取った。美幌空は七〇一空に改称後、昭和18年2月に解散したが、要員と機体は七五五空に改称した元山空に編入され、かつての二代目十五空の状態に戻った。
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