第二二一海軍航空隊(だい221かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。フィリピン防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に戦闘・特別攻撃に従事した。通称「嵐部隊」。
1944年(昭和19年)1月から3月にかけて、海軍は基地航空隊の充実化を目指して、複数の航空隊を相次いで編成し、第一航空艦隊第六十二航空戦隊に編入した。これらの航空隊は、有力な攻撃航空隊として養成すべく、5月5日付で連合艦隊附属に引き抜かれた。6月15日、第二航空艦隊を新たに編成したうえで編入し、「あ号作戦」には投入せずに訓練を重ねた。
終盤の金鵄隊編成まで、二二一空自体は積極的な特攻攻撃を実施せず、護衛に徹している。主力が脆弱な52型零戦であり、爆装がまがりなりにも可能であった21型零戦の保有率が極端に少なかったためである。航空総攻撃の大失敗を受けて、特攻を拒絶していた福留繁二航艦長官も特攻作戦を実施するようになったが、二二一空の特攻部隊編入は拒絶を貫いた。一方、二二一空の消耗も蓄積し、台湾撤退後は他の一航艦所属部隊と同様に、再編の目処が立たないまま終戦まで陸戦訓練に明け暮れた。
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