秦野たばこ祭(はだのたばこまつり)は、神奈川県秦野市で毎年9月に開催される祭。2日間にわたり市中パレードや打上花火などが実施され、かつて全国三大銘葉の一つに数えられ秦野を発展させた葉たばこ耕作の記憶を今に伝えている。第76回(2023年)は35万9000人以上が来場[1][2]。
概要
名物のジャンボ火起こし綱引きコンテストやたばこ音頭パレード、弘法の火祭のほか、コンサート、はだのよさこい踊りなどが催され、フィナーレに弘法山公園から花火が打ち上げられる。多数の地元市民団体や学生グループが参加するほか、秦野ふるさと大使や秦野市の姉妹都市による演目も実施される。例年9月最終土曜・日曜日の2日間で行われる。
1948年(昭和23年)10月1日・2日、神奈川県煙草耕作組合連合会の創立25周年の記念事業の一つとして実施された「タバコ耕作者の慰労会」から始まり[3][4]、これを第1回たばこ祭としている。第1回は秦野専売支局収納場(現在のイオン秦野店の敷地)において、たばこ耕作者やその家族1万人を招待し、歌舞伎鑑賞・芸者の踊りなどを催した[5]。
メインイベントとして、市内を巡回するフロート車によるパレード(後述)が行われていたが、
制作費の負担や人手不足などを理由に第61回〜64回までの間、一時休止になった[6]。しかし第65回に復活することが、2010年5月10日の会議で決定した。なお、会議の中ではフロート関係者の多くは、祭のなかで行なわれる「ねぶた」を廃止してでも復活させるべき、という意見が多かった[要出典]。
歴史
「たばこ」の名称と祭の存続
1970年代、喫煙による健康被害への認識の高まりにより、祭の名称を変えるべきだとの議論に発展した[4]。一方、現在の祭はたばこの喫煙を奨める趣旨ではなく、たばこ栽培やその技術の発展、栽培者の努力が市の発展を支えたことを伝えるものであり、その必要はないというのが実行委員会の見解[要出典]である。
1984年(昭和59年)、秦野市における葉たばこの耕作が終了した。1985年の市政モニター調査や市民意識調査におけるたばこ祭の存続についての集計調査では約半数が「そのまま継続」、残りの半数が「名称変更」「内容の変更」「廃止」と、意見が二分した[5]。同年、秦野市では今後の名称や内容についての検討をするために、市民団体や市民らによる検討委員会を設置。翌1986年に検討委員会は「『見る祭り』から『参加する祭り』・『民間主導の祭り』への改善が必要」と市長へ提言し、「名称は市民の間に定着しており問題ない」との意見が大勢であるとの認識を示した[5]。これを受け、たばこ祭はその名前を維持した形での存続が決定した[5]。
近年でも日本禁煙学会[注釈 1]が2007年[17]、2008年[18]に秦野市長ほかに宛てて、祭の名称の変更などを要請している。なお、秦野市の喫煙率は全国平均(2019年男性27.1%、女性7.6%)や神奈川県(同26.7%、8.5%)の喫煙率よりも低い水準(同20.9%、5.2%)で推移している[19]。
エピソード
- ウクライナのアーティスト達の「祭りが終わったら展示したいから送って欲しい」との希望から、秦野市内で活動する「アトリエKAWADO」を通じ、使用したらんたんをリヴィウのアートアカデミーに寄贈している。寄贈の際には、市内の子どもたちにより、ヒマワリやウクライナの国旗を随所に散りばめ、折り鶴と共に発送された[20]。
ギャラリー
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オープニングパレード、秦野たばこ祭実行委員会会長の高橋昌和秦野市長(右)とはだのふるさと大使
加藤優(左)、第77回
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ジャンボ火起こし綱引きコンテスト、第77回
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らんたん巡行フロート車パレード、第77回
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はだのふるさと大使の
吉田栄作による はだのふるさとステージ、第77回
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弘法の火祭で点火された松明、第77回
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脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク