神和村(じんわむら)は愛媛県風早郡のち温泉郡にあった村である。
1959年(昭和34年)3月31日に中島町[注釈 1]と合併して、地方自治体としてはその歴史を閉じた。忽那諸島のうち最も西北部に位置する離島(愛媛県でも最も西北部)で、対岸は北は広島県、西は山口県である。現在は行政区画として松山市に属する。
地域の詳細はそれぞれの島の記事を参照。
地理
愛媛県と広島県・山口県との県境に位置する津和地島、怒和島、二神島、由利島ほかからなる離島の集合体。なお、現在では由利島は無人島となっている。
怒和島の元怒和にある郵便局が「神和郵便局」となっているように、現在でも中島本島[注釈 2]の西部に位置する島しょ地域を総称する場合「神和」と呼ぶことがある。これらの島々を結ぶ中島汽船のフェリーも船名はじんわとなっている(2006年進水)。
村名の由来
合併した旧村の字のうち「神」と「和」を合体させたもの。合成地名。古くは「かんなむら」とも読んだ。
社会
地域・集落
合併前の旧4か村をそれぞれ大字とし、中島町になっても受け継がれた。
行政
- 行政区域
- 神和村→中島町→松山市と変遷。
- 庁舎
- 怒和島の大字元怒和においた。
- 歴代村長
人口
- 明治37年 750戸、4391人
- 明治44年 804戸、4548人
- 大正10年 802戸、4718人
- 昭和9年 834戸、4567人
- 昭和23年 1045戸、5256人
- 昭和30年 4884人
[1]
- 2020年(令和2年) 338世帯、588人
- 島別 津和地島 124世帯、225人 怒和島 153世帯、278人 二神島 61世帯、85人 なお由利島は無人島
沿革
神和村の系譜
(町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併)
町村制施行時
元怒和━━━━┓
津和地━━━━┫
二神 ━━━━╋━━━神和村━━━━━━━━━━━┓
上怒和━━━━┛ ┃昭和34年3月31日
大浦 ━━━━┓ ┃ 合併
小浜 ━━━━┫ あ ┣━中島町━━┳━┳━━┓
長師 ━━━━╋━━━東中島村━━━中島町━━━━┛ い┃ ┃ ┃
宮野 ━━━━┫ ┃ ┃ ┃
神浦 ━━━━┛ ┃ ┃ ┃
野忽那━━━━┓ ┃ ┃ ┃
┣━━━睦野村━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃
睦月 ━━━━┛ ┃ ┃
粟井 ━━━━┓ う┃ ┃
畑里 ━━━━┫ ┃ ┃
饒 ━━━━╋━━━西中島村━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃
吉木 ━━━━┫ ┃
熊田 ━━━━┫ ┃
宇和間━━━━┛ ┃
北条市━━━━━━━┫
松山市━━━━━━━┻━━松山市
え
あ – 昭和27年8月1日町制施行
い – 昭和35年3月31日 睦野村を中島町へ編入
う – 昭和38年3月31日 西中島村を中島町へ編入
え – 平成17年1月1日 中島町及び北条市を松山市へ編入
(注記)北条市・松山市の合併以前の系譜はそれぞれの市の記事を参照のこと。
脚注
注釈
- ^ 中島町は先に1952年(昭和27年)に旧東中島村の地域を以って町制施行し、「中島町」となっていた。神和町と合併した時点では、中島本島の西半分を占める西中島村が存在し、中島本島がイコール中島町ではなかった。なお、西中島村は1963年(昭和38年)に中島町と合併し、この時点で島しょ部の一つのまとまりとしての中島町が形成された。
- ^ 正式な島名は「中島」であるが、(中島本島のみならず周辺の島々を含む)中島町地域を「中島」と呼ぶこともあり、区別するため「本島」を付けることがある。
出典
- ^ 『角川日本地名大辞典38愛媛県』p370-371
関連項目
外部リンク