磯野 計蔵(いその けいぞう、1907年(明治40年)9月29日 - 1966年(昭和41年)6月27日[1])は、日本の実業家、登山家。元明治屋代表取締役社長。元日本商品学会顧問。
人物・来歴
東京出身[1]。磯野長蔵の長男[2]。1931年、東京商科大学(現一橋大学)卒業[3]。同大学山岳部出身で、在学中冬の鹿島槍ヶ岳登頂に成功[1][4]。1933年からイギリスで商社実務研修を受け、ウォルター・ウェストンと交流を持った[3]。明治屋取締役を経て、1944年、明治屋取締役副社長[5]。1950年、日本商品学会顧問[6]。1959年、明治屋代表取締役社長[7]、キリンビール監査役[8]。1966年6月27日、膀胱癌のため慶應義塾大学病院で死去[9]。
1987年、磯野文庫創設[3]。住所は東京港区麻布広尾町[2]。
家族・親族
- 磯野家
- 親戚
訳書
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
- 故磯野計蔵社長追悼号刊行委員会編『磯野計蔵社長追悼』明治屋本社 1966年。