石澤 志穂(いしざわ しほ、女性、1986年10月23日 - )は、日本の元女子スピードスケート選手。専門は長距離。バンクーバーオリンピック、ソチオリンピック日本代表。トランシス所属。現在は帯広大谷短期大学勤務、管理栄養士。
来歴
北海道中札内村出身。中札内村立中札内小学校、同中学校を経て、駒大苫小牧高校に進んだ。高校卒業後は(株)岸本医科学研究所に所属。
全日本スピードスケート選手権大会で2005年・2006年と4位入賞を連続で果たし[1][2]、2006年、20歳でISUワールドカップに初出場。2009年の世界距離別スピードスケート選手権大会に出場し、3000m17位、5000m14位。翌年のバンクーバーオリンピックにも出場し、3000m15位、5000mでは9位となった。なお、チームパシュートでは控えメンバーであったため、銀メダリストの一員になれなかったが、小平奈緒と穂積雅子が、「これはイッシー(石澤の愛称)」と一緒にとったメダル」と、メダルを首に掛ける計らいをしてもらったという[3]。
バンクバーオリンピック後、所属先が廃部となりフリーに転向したが、不振が続きスケート連盟の強化指定選手を外れた[4]。2011年10月にトランシス所属となり[5]、復活劇を遂げた。
2013年11月29日にカザフスタンのアスタナで行われたワールドカップ第三戦5000mで4位(日本人最上位)となり、ソチオリンピック代表が内定した。ソチオリンピックでは、3000m9位、5000m12位となった。
2014年4月18日に現役引退を表明。そして半年間イギリスに留学。2015年4月に帯広大谷短期大学に合格、2017年に卒業し[6]、栄養士の資格を取得[7]。同い年の親友である小平の希望に応じて相澤病院所属となり[7][8]、練習や食事面でのサポートを行うことになった[7][9]。
平昌オリンピックまでの1年間の日々は「(小平)奈緒を支えてきたっていうよりも、競技人生に寄り添ってきた」感じであったという[3]。また、「(オリンピック本番では)やりきった顔が見られればいいと思っていた」とも述べている[3]。平昌オリンピックで、小平は500mで金メダルを獲得。「実際にキラキラ輝くメダルを手にした奈緒を見て、さらに喜びがこみ上げてきました」「感無量」と涙ぐみ、喜びを分かち合った[7][3]。
自己記録
脚注
参考
外部リンク