石川 昂弥中日ドラゴンズ #25 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
愛知県半田市 |
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生年月日 |
(2001-06-22) 2001年6月22日(23歳) |
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身長 体重 |
186 cm 100 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
三塁手、一塁手、二塁手 |
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プロ入り |
2019年 ドラフト1位 |
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初出場 |
2020年7月12日 |
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年俸 |
3000万円(2025年)[1] |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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石川 昂弥(いしかわ たかや、2001年6月22日 - )は、愛知県半田市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。
経歴
プロ入り前
半田市立有脇小学校・半田市立亀崎中学校出身で[2]、小学2年生の時に「ツースリー大府」で野球を始め[3]、小学6年生の時には中日ドラゴンズJr.に選抜された[4]。また、亀崎中時代は「知多ボーイズ」に所属し、3年生の時には「NOMOジャパン」(総監督:野茂英雄)に選出されロサンゼルスへ遠征した[5][6]。
愛知県名古屋市の私立東邦高校へ入学。1年生春からベンチ入りし[7]、2年生春の第90回記念選抜高等学校野球大会で、4番・三塁手としてスタメン出場したが、1回戦(花巻東高校戦)で敗退した[8]。2年生夏に行われた県の地区大会では6試合で打率.737を記録[9]。同年秋から主将を務め、エース兼3番打者として秋季東海大会優勝[7][10]。
3年生春の第91回選抜高等学校野球大会で、エースとして全5試合に先発登板しいずれも勝利投手となり、打者としても3本塁打を記録し、同校の甲子園史上最多となる春5回目の優勝に貢献した[11]。夏の県大会では2回戦敗退[12]。その後に行われた第29回U-18 W杯の代表メンバーに選出される[13]。U-18 W杯では、全8試合で4番打者を務め、主軸として24打数8安打1本塁打9打点、打率.333の成績を残す[14]。
2019年10月17日に開催された2019年度新人選手選択会議で、オリックス・バファローズ、中日ドラゴンズ、福岡ソフトバンクホークスの3球団が1位指名し、中日が交渉権を獲得した[14]。11月1日に契約金1億円、出来高5000万円・年俸1500万円で仮契約[15]。背番号は2[16]。
中日時代
2020年、春季キャンプは二軍(読谷)スタートとなった[17]。2月17日には左肩の違和感を訴え、左肩腱板炎と病院で診断された[18]。5月の自主練習期間で打撃フォームをオープンスタンスに改造したことが報じられた[19]。前日の試合で負傷した[20]高橋周平に代わり、7月12日に初の一軍昇格[21]。同日の対広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)に、7番・三塁手としてスタメンで初出場し、2回裏に遠藤淳志からプロ初打席初安打となる二塁打を打った[22]。7月22日の対読売ジャイアンツ戦(ナゴヤドーム)では8回裏に澤村拓一から左越適時安打を放ち、プロ初打点を記録した[23]。しかし、7月28日の対広島戦(MAZDA_Zoom-Zoom スタジアム広島)で高橋がスタメンに復帰[24]してからは代打での出場[25][26][27]となり、その後7月31日に登録抹消となった[28]。オフに推定年俸1275万円(225万円減)で契約更改[29]。
2021年、6月25日のウエスタン・リーグの対阪神タイガース戦(阪神鳴尾浜球場)で桑原謙太朗から死球を受けて途中交代となり、左尺骨骨折と診断された[30]。6月30日に左尺骨の骨接手術を受け、全治3か月以上かかる見込みとなった[31]。10月23日のフェニックス・リーグで実戦復帰したものの[32]、同年は一軍出場なし[33]。11月14日に、175万円減となる推定年俸1100万円で契約を更改した[33]。
2022年は、開幕一軍入り。4月5日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)でプロ初本塁打を記録した[34][35]。4月終了時点で打率.222であった[36][37]が、阿部寿樹と並んでチームトップタイの16打点を記録した[38]。5月は6日の対阪神戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で両者無得点で迎えた延長10回一死満塁の打席で青柳晃洋から自身初のサヨナラ安打を放ち、大野雄大の完封勝利をアシストした[39]。9日に新型コロナウイルスに感染したことが判明し[40]登録抹消されたが、24日に一軍復帰[41]。ところが、27日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で、4回の打席で三ゴロに倒れた際に一塁への走塁で左膝を負傷し[42][43]、29日に登録抹消された[43]。31日に左膝前十字靱帯不全損傷と診断されたことが発表された[44]。7月1日に岐阜県内の病院で再建手術を受けた[45]。同年は37試合の出場で打率.225、5本塁打、19打点の成績であった[46]。オフの11月10日に、400万円増となる推定年俸1500万円で契約を更改した[47]。また、入団以来故障が続き「心機一転」のためという自身の希望で[48]背番号を25に変更した[49][50]。
2023年の春季キャンプ終了時点で、本人は手術後の状態について「8割くらいは回復」していると話していた[51]。4月6日のウエスタン・リーグ、対オリックス戦(ナゴヤ球場)で11か月ぶりに試合に出場[52][53]。その後二軍で打率.545、2本塁打と結果を残し、同月13日に一軍の練習に参加した[54]。翌14日の対巨人戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で自身初めて中日で第111代目の4番打者で先発出場する[55]と、同月16日の対巨人戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で2回二死三塁の打席で赤星優志から適時打を放ち、4番打者で初打点を記録[56]。更に同月20日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)では石川雅規から前年5月8日の対阪神戦以来、347日ぶりの本塁打を放った[57]。5月26日の対横浜DeNAベイスターズ戦(バンテリンドーム ナゴヤ)では4回無死無走者の打席でロバート・ガゼルマンから決勝本塁打を放ち、1-0で勝利に貢献した。中日で日本人の右の4番打者の本塁打による1-0勝利は1993年の落合博満以来30年ぶり[58]。6月は月間打率.113、0本塁打と低迷した[59]が、7月は11日の対ヤクルト戦(バンテリンドーム ナゴヤ)でサイスニードから2回無死無走者の打席で史上4球団目となる球団通算9000本塁打、6回二死無走者の打席で本塁打を放ち、自身初の1試合2本塁打を記録した[60]。22日の対広島戦(マツダスタジアム)では2回無死無走者の打席で森下暢仁からプロ入り4年目で自身初のシーズン10本塁打を放った。中日でプロ入り4年目以内に2桁本塁打を記録した高卒選手は1993年の種田仁以来30年ぶり[61]。最終的に自身初の規定打席に到達し、シーズン通算では全てキャリアハイとなる121試合に出場、打率.242、13本塁打、45打点の成績を残した[62]。オフの11月26日の契約更改では倍増の推定年俸3000万円でサインした[62]。
2024年は、オープン戦で結果が残せず開幕一軍を逃すが、二軍で調整を続け、4月25日に一軍に昇格する[63]。5月1日のDeNA戦(バンテリンドーム)で5番・一塁手としてシーズン初先発を果たすと[64]、スタメン起用3戦目となった5月5日のヤクルト戦(神宮球場)では、小澤怜史から第1号となる本塁打を放った[65]。5月14日の阪神戦(豊橋市民球場)では、同点で迎えた8回一死満塁の場面で決勝打となる2点適時打を放ち、チームの勝利に貢献した[66]。
選手としての特徴
打者としては高校通算55本塁打の長打力が武器で[3]、走塁速度は50メートル6秒3[67]。
守備では遠投115メートル[68]で、大柄ながらも俊敏でスローイング精度も高い三塁守備が評価されている[7]。また、投手としても最高球速144km/hを記録する強肩を持つ[7]。
人物
家族
父も同じく東邦高校硬式野球部出身で、第61回選抜高等学校野球大会で優勝した際も、部員(控え捕手)であったが[注 1][71]ベンチ入りできなかった[72]。
弟も東邦高校硬式野球部で主将を務め、第95回記念選抜高等学校野球大会で4番打者として出場した[73][74]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2020
|
中日
|
14 |
41 |
36 |
3 |
8 |
2 |
0 |
0 |
10 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
3 |
0 |
1 |
12 |
1 |
.222 |
.300 |
.278 |
.578
|
2022
|
37 |
141 |
129 |
11 |
29 |
7 |
1 |
5 |
53 |
19 |
0 |
0 |
1 |
3 |
7 |
1 |
1 |
29 |
0 |
.225 |
.264 |
.411 |
.675
|
2023
|
121 |
464 |
434 |
32 |
105 |
27 |
0 |
13 |
171 |
45 |
0 |
0 |
0 |
4 |
22 |
2 |
4 |
69 |
10 |
.242 |
.282 |
.394 |
.676
|
2024
|
82 |
275 |
254 |
17 |
69 |
16 |
0 |
4 |
97 |
25 |
0 |
0 |
0 |
2 |
17 |
0 |
2 |
37 |
9 |
.272 |
.320 |
.382 |
.702
|
通算:4年
|
254 |
921 |
853 |
63 |
211 |
52 |
1 |
22 |
331 |
90 |
0 |
0 |
2 |
9 |
49 |
3 |
8 |
147 |
20 |
.247 |
.292 |
.388 |
.680
|
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
一塁 |
三塁
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率 |
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2020
|
中日
|
- |
11 |
7 |
15 |
1 |
2 |
.957
|
2022
|
- |
37 |
21 |
68 |
2 |
4 |
.978
|
2023
|
17 |
137 |
9 |
1 |
6 |
.993 |
95 |
50 |
138 |
14 |
13 |
.931
|
2024
|
52 |
400 |
29 |
0 |
30 |
1.000 |
14 |
4 |
33 |
1 |
1 |
.974
|
通算
|
69 |
537 |
38 |
1 |
36 |
.998 |
157 |
82 |
254 |
18 |
20 |
.949
|
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2020年7月12日、対広島東洋カープ6回戦(ナゴヤドーム)、7番・三塁手で先発出場[22][75]
- 初打席・初安打:同上、2回裏に遠藤淳志から左翼線二塁打[22]
- 初打点:2020年7月22日、対読売ジャイアンツ5回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に澤村拓一から左越適時安打(二塁で走塁死)[23][76]
- 初本塁打:2022年4月5日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、8回表に清水昇から左中間越ソロ[34][77]
背番号
- 2(2020年 - 2022年)
- 25(2023年 - )
登場曲
代表歴
脚注
注釈
- ^ 父・尋貴の同期には山田喜久夫(元中日)がおり[69]、山田の息子(昂弥と同期)は第91回選抜高等学校野球大会で応援団長を務めた[70]。
出典
関連項目
外部リンク