真室 亜夫(まむろ つぐお、1903年(明治36年)8月6日 - 1945年(昭和20年)5月31日[3])は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、海軍司政官。
経歴・人物
香川県綾歌郡山田村(現・綾川町)に生まれる。松山高等学校を卒業[4]。1927年(昭和2年)12月[4]、高等試験行政科に合格し、1928年(昭和3年)3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業する。
卒業後直ちに渡台し、交通局書記逓信部庶務課に勤務。1932年(昭和7年)3月、地方理事官に進み、台北州新荘郡守に就任。1934年(昭和9年)9月、台北州内務部勧業課長に転じ、ついで拓務事務官殖産局勤務、拓務事務官管理局管理課長、企画院書記官、拓務書記官、拓殖調査部第二課長、殖産局商工課長、水産課長兼務、殖産局水産課長、殖産局水産課事務官などを経て、1942年(昭和17年)5月、海軍司政官に選任された。
脚注
参考文献