真如寺(しんにょじ)は、大阪府豊能郡能勢町にある日蓮宗の寺院。山号は無漏山。本尊は十界大曼陀羅。妙見山にあり、また能勢妙見山の本院として知られる。別称として関西身延(かんさいみのぶ)とも呼ばれる[1]。また、大阪府下で唯一日蓮聖人の御真骨を奉安している[2]。
歴史
慶長5年(1600年)秋、能勢頼次は京都本満寺の貫首であった寂照院日乾上人を当地に招くと、山や屋敷などあわせて東西五町、南北六町の土地を日乾に永代寄進した。これがそもそもの当寺の始まりであるという[3]。
その後、日乾は日蓮宗総本山である甲斐国身延山久遠寺の第二十一世となるが、退隠後再び当地へ戻ってくると当地に自らの隠居所として覚樹庵を創建し、能勢郡の法華道場として布教活動の拠点とした[3]。
続いて、能勢頼次は大恩人である徳川家康の菩提を弔うためと、さらに能勢氏の祈願所として覚樹庵の境内に真如寺を建立すると、以後は日乾が法務を執った[3]。
この時、日乾は能勢氏の家鎮として古くから祀られていた鎮宅霊符神を法華経の守護神である妙見大菩薩とし、さらに武運長久を願って武具甲冑を身に付け剣を手にした妙見大菩薩の尊像を日乾自ら彫刻し、これを能勢が一望できる為楽山の山頂に祀った。これが能勢妙見山の始まりである[3]。
日乾は身延山に請い、宗祖・日蓮の御真骨の一部を手に入れると当寺に安置した。以来当寺は宗祖棲神の霊場ということだけでなく、風光も身延山を彷彿とさせるものであったために、関西身延と称せられるようになった[3]。
当寺の中興である第八世寂明院日侃上人の代に、徳川家光によって当寺は無本寺跡(本山格の一箇本寺)に昇格している[3]。
妙見山興隆を図った第十五世慈妙院日通上人は、村雲御所瑞龍寺宮の帰依もあって緋御紋章の御袈裟および網代の乗輿が贈られて、能勢妙見山は日蓮宗妙見信仰の中心となった[3]。
1941年(昭和16年)に宗教法人法の改正によって能勢妙見山は当寺の所属とされ、真如寺付嘱境外仏堂能勢妙見山とされ現在に至っている[3]。
境内
文化財
大阪府指定有形文化財
大阪府指定天然記念物
所在地
アクセス
脚注
注釈
出典
外部リンク