相羽城(あいばじょう)は、美濃国大野郡(岐阜県揖斐郡)にあった中世の日本の城(平城)。根尾川と三水川の間、旧・名鉄揖斐線相羽駅の近くに位置する。遺構はほとんどないが、本丸跡には神社があり、堀跡とみられる北東の池付近から遺物が出土している。
『新撰美濃志』によれば[2]、土岐光行の子の光俊が饗庭姓を名乗って建暦・建保頃に築城したが[要出典]、承久の乱で戦死したという。その孫の国頼などが城主となった後に一度廃城となるが、天文年間に垂井城の長屋景興が修築・移住し、土岐頼芸に仕えた。天文14年(1545年)に斎藤道三に攻められて落城し、後に鷹司氏が城主となるも天文18年(1549年)に織田信秀に攻められ、やがて廃城となった。
所在地
岐阜県揖斐郡大野町相羽
脚注
参考文献
関連項目