相川 景見(あいかわ かげみ)は、江戸時代後期から明治時代前期の江戸幕府幕臣、歌人、国学者。
文政8年(1825年)11月16日、西の丸御徒となる[2]。譜代や御徒組頭などを歴任し、明治元年(1868年)8月5日、隠居する[2]。歌人としても知られ、和歌を香川景樹に学び、能久親王に和歌を講義した[1]。また寒川神社宮司の秋山光條とも交友があった。号は柏園や山の井を称した[1]。著作に『船路の日記』、『柏園家集』、『柏園雑記』、『百異拾解』など[1]。